証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報地名特定不可能
資料にある地域情報南方
慰安所があった時期未記載
記載内容本書冒頭の「日本のシンドラーたち」の項でユダヤ人難民を乗せてブラジル・サントスに向かった大阪商船「ぶらじる丸」のことを紹介したが、同船には藤本寛司厨員=写真=がいた。やがて戦争が始まり、ぶらじる丸は陸軍輸送船となっていたのだが、あるとき、神戸港を出港したさい、神戸の福原遊廓から来たという慰安婦5百人を乗せている。藤本によれば、たいへんにぎやかな一行だった。船内での行動は制限されていたはずなのだが、なにせ大人数である。赤信号、みんなで渡ればーてな具合で、「手伝いましょうか」なんて船の台所である司厨室にも平気でやって来る。司厨部は男所帯なのに、ぜんぜん気にもしない。当時、駆け出しの藤本も適当にからかわれている。果ては身の上話なんぞも聞かされ、大いに同情したものだった。「からっとした気っぷ」がなによりだった。「どこかはっきり行き場所は聞いていないけど、南方に行くの」「支度金がよくってね、2千5百円もくれた」「親の借金を払ってやった」「抵当に入っていた家の田畑が買い戻せた」(なお、「慰安婦5百人」という数字について、藤本は「数字は確か。食事を世話する関係ではっきりと記憶しています」といっている)
証言者藤本寛
証言者属性
部隊名
資料タイトル生き残った兵士の証言 極限の戦場に生きた人間の真実
著者、公文書発信者など土井全二郎
公文書宛先
発行日2004.9
発行所光人社
ページ192-193
出典備考
備考 注:南方行きの陸軍輸送船(ぶらじる丸)に慰安婦5百人が乗っていた。
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