| 出典種別 | 目撃証言 |
|---|---|
| 現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
| 資料にある地域情報 | 各地 |
| 慰安所があった時期 | |
| 記載内容 | 統制のきびしくなった内地で、商売のおもわしくなくなった料理関係の業者や、三流どころの芸能人を寄せ集めてつくった俄かごしらえの慰問団や、ダニのように軍のあとをくっついてなにらかの利益にありつこうとする一旗組などが、やがてはそれぞれ散らばってゆくにしてもいったんはすべてシンガポールにおろされるので、このころ、シンガポールに集まる人の数はおびただしいものであった。・・・ 女流作家の人たちは、別棟の兵舎の3階に、慰問団の女や、各地に散ってゆく慰安所ゆきの女たちといっしょに泊っていた。 |
| 証言者 | 黒田秀俊 |
| 証言者属性 | 日本軍兵士 |
| 部隊名 | |
| 資料タイトル | 軍政 |
| 著者、公文書発信者など | 黒田秀俊 |
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | 1952.12.15 |
| 発行所 | 学風書院 |
| ページ | 70-71 |
| 出典備考 | |
| 備考 | 注:シンガポールは通過点。各地に散っていく慰安婦たちの行き先は不明。 |