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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報地名特定不可能
資料にある地域情報香港航路
慰安所があった時期
記載内容第15次航海は三度目の香港航路。昭和18(1943)年2月1日、ぶえのすあいれす丸は宇品を出航し、同6日香港に着き、患者を収容し、8日同港を発ちました。・・・私たちは毎日、戦跡巡りをしたり、船で九龍へ渡って、買物や見物をしたりしました。その船や2階建てバスの2階が日本人、1階が中国人と決められていて、2階へ来る中国人は、犬を追うような怒号で1階へ追われるのを見て、大東亜戦争の陰の部分を知る思いがしました。・・・
従軍慰安婦を便乗させたのもこの頃でした。荷物といっしょに船倉に入れられ、夕方はこっそりとハッチの陰で涼んでいました。派手なスフ(化繊)の着物を着た女性を、私たちははじめ不思議に思いました。当時はPさんと呼ばれた女性たちと、その存在さえも知らなかった私たち。その背景も知らず、上陸する時に、「白衣を着せて上陸させるのを目撃した」と同僚は憤慨していました。
証言者守屋ミサ
証言者属性従軍看護婦
部隊名
資料タイトル従軍看護婦の見た病院船・ヒロシマ-ある養護教諭の原体験-
著者、公文書発信者など守屋ミサ
公文書宛先
発行日1998.7.31
発行所農山漁村文化協会
ページ151-153
出典備考
備考 第15次航路は、香港航路で患者を収容し帰国するのが任務のようだ。ぶえのすあいれす丸は病院船。香港で患者を収容し、証言者らはその付近で観光をしている。「慰安婦を便乗させたのもこの頃でした」とは、この時期にこの病院船が慰安婦を同乗させ、香港方面に輸送したということ。慰安婦がどこへ連れていかれたかは不明。
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