出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | プノンペン、マレー、シンガポール |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 17年2月4日西貢出発。メコン川を渡ってプノンペン着。ここから軍用列車に乗車した。輸送指揮官は私達の浜隊長です。軍隊は戦地に女を連れて行くと聞いて居りましたが本当でした。中沢部隊と言って約20名程でした。カラユキさんの集まりか皆30才すぎの日本人女性でした。私達は無蓋車上の無線自動車の中で、風もよく通り過ごし易かったが、女性達は有蓋車の中で暑さは想像以上だったでしょう。皆シュミーヅ1枚の姿でした。馬来のスンゲイバタニ駅から先は列車不通の為、自動車行軍で運転手は本当に御苦労な事でした。シンガポールの手前クワラルンプールでシンガポールの落ちるのを待つ間、現地の老女に通訳をして頂いたが、シッカリした日本語にビックリした。やはりカラユキさんで流れ流れてこの地に居住した人でした。シンガポールへは落ちた翌日の夜半に入城。テンガ飛行場に入り、翌々日ヴキテマ高地の高級住宅地に移動する。 |
証言者 | 小林高治 |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | 戦争体験集-二度とあってはならないから- |
著者、公文書発信者など | 渡辺照慈編 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1993.12.8 |
発行所 | 思い出の記出版会 |
ページ | 113 |
出典備考 | 小林高治「パレンバンの通信兵」 |
備考 | スンゲイパタニはペナン島の対岸、クダー州Sungai Petani。カンボジア、タイ、マレーシア、シンガポールのいずれかか、更にその先に向かったのかは記載されていない。 |