記載内容 | 私は、雲南省の昆明というところにとまって、この奥、ビルマ国境近くまで、足をのばしたことがあるが、現在でも、国境警備が厳重で、警備隊の交替のたびに、中国赤軍の大部隊の移動に遭遇した。・・・皇軍のゆくところ慰安所があり、山また山の皇軍、その後ろには必ず、慰安婦がつづいてゆく。・・・いま、手元に1枚の写真がある。そこには、皇軍第6慰安所とあり、日の丸がかかげられている。・・・出発前夜、指揮官森中佐は、バラック建の慰安所におもむき、至極真面目な顔で、「天皇陛下の命により、吾々部隊はここまで進んできた。しかれども、戦いわれに利あらず、明朝、最後の突撃を敢行することになった。・・・今晩は、最後の晩となるから、大いに奉仕してくれ。兵隊にもよくいっておく。終りッ」隊長付中尉は、部隊長の話がおわると、いつも通り反射的に「気をつけっ。敬礼」15名の慰安婦たちも、一斉に、頭をさげた。・・・インパールの夜がふけて、皇軍慰安所はこうこうと電気が輝いている。15人の慰安婦達は、とっておきの服装で、厚化粧して兵隊をまっている。誰も口はきかない。電気だけがやけに、いやに明るく、慰安所のスミズミまで照らしている。11時、12時と待っているが、誰もこない。・・・朝鮮の慰安婦が、屈辱をこらえて、日本にきた。私たちの青春を返してくれ、と叫んだ。いまだに、牛乳はのまない。牛乳を見るとヘドが出てくるといった。 |