1992年から2007年までの「慰安婦」に言及した社説32本です。読売新聞の主張やこだわりがわかる部分を抜き出しました。当初は「慰安婦」制度の事実や日本の責任を受け止めていますが、1998年頃から「一部メディアの捏造」論が繰り返し出てくるようになります。
記事抜粋
1992.2.1
新状況を日朝交渉に生かすには
慰安婦問題で、韓国に対すると同様に北朝鮮に謝罪し、誠意をつくす方途を考えるべきは言うまでもない。要は、双方が建設的に議論をかみ合わせ、信頼感を育てて国交につなげることだ。
1992.5.16
慰安婦問題への対応を考える
北京の第7回日朝国交正常化交渉で、日本側はいわゆる従軍慰安婦問題について財産・請求権問題としての枠内で議論に応じる用意があることを明らかにした。(略)
だが、政府だけでなく、日本国民全体にとっても、この忌まわしい歴史の現実は、法律論だけですますには、まことに重い問題である。
法的には解決ずみという立場を維持するのは当然だが、
それとは別に、調査結果を踏まえ、私たちの謝罪と反省の気持ちが被害者に伝わるような何らかの措置を考えることが必要である。
記事抜粋
1992.7.7
「慰安婦」問題の早期解決を
政府が日中戦争、第二次大戦中の従軍慰安婦に関する調査結果を発表した。(略)
いずれにしても、時代環境が違ったとはいえ、誠に恥ずべき当時の政府の関与であり、
加藤官房長官が改めて「おわびと反省」の意を表明したのも当然だ。長官はまたその気持ちを表す具体的措置の検討を明らかにした。必要なことである。
韓国外務省も日本側の謝罪と反省に基づく具体的措置を求める論表を発表した。
1992.8.25
中韓国交にいかに対応するか
PKOに参加し、参加しようとしている中韓が日本に「慎重に」と言うのは過去の歴史もあり、日本を信用していないということだ。日本国内の「アリの一穴」論もそれを増幅させる。不幸な話だ。
慰安婦問題などの「過去」をきちんと処理し、日本の役割についての内外の誤解を解く努力をすべきは言うまでもない。
記事抜粋
1993.3.9
ラモス大統領を歓迎する
戦略的地位が低下したとはいえ、フィリピンはわが国と中東を結ぶ海上輸送路に位置し、よきにつけ、あしきにつけ、関係の深い国である。アジアの安定にとって、フィリピンの安定は不可欠である。(略)
宮沢首相はまた慰安婦問題で、率直に謝罪し、誠意ある対応の姿勢を示すべきだ。ラモス大統領の訪日が両国にとって実りあるものとなることを期待する。
1993.8.5
「強制性」認めた「慰安婦」調査
政府は慰安婦をめぐり、広い意味の「強制性」を認めたことになる。
広い意味とはいえ「強制性」があった以上、その意に反して慰安婦とされた女性たちの苦痛と恥辱は計り知れまい。
河野官房長官が「心からのお詫びと反省」の意を表明したのも当然だ。
政界には、国会決議により過去を反省し、将来に向けて近隣国との関係を発展させる意思表示をしようとの動きがある。
日本は過去の非について、首相の発言をはじめ、さまざまな形で公式に謝罪ないし反省の意を表明してきたが、国会決議の形をとることに、基本的に賛成である。
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1994.3.27
成熟への軌道に乗る日韓関係
言うまでもなく、私たちは日本が朝鮮半島を植民地支配した歴史とその反省を忘れてはならない。慰安婦問題で、韓国は日本に補償を求めず、自身で救済措置を講じているが、それとは別に、日本政府は早急に誠意を示す措置をとるべきである。
1994.5.7
法相の問題発言、撤回は当然だ
「私は南京大虐殺というのは、あれ、でっちあげだと思う」(略)太平洋戦争について、「侵略戦争という定義付けは、今でも間違っていると思う」
日本の国務大臣の発言としては、不用意かつ不適切だと言わざるを得ない。日本政府の歴史認識に疑念を持たれかねない。
法相の発言撤回は当然である。戦争の過程で普遍的道徳に照らして恥ずべき残虐行為があったことも認識しなければならない。日本の戦争責任は法的には一部を除き解決済みだが、慰安婦問題など人道上、誠意をもって対処すべきだ。
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1994.7.3
検定の成熟化は歓迎するが
戦後補償について、「国家間の賠償は解決済みとされており、問題となっているのは個人の請求権に基づいての主張である」点に配慮を求めたのも、常識的と言っていい。従軍慰安婦と女子挺身隊を区別するようにとの意見も同様だ。
1995.3.8
「不戦」決議を政略で扱うな
そもそも、立法府である国会に、そうした多面的で多様な歴史解釈を“確定”する資格があるのか、という疑問がある。国民は、政治家に対し、歴史の解釈まで託したわけではあるまい。
国会決議などしなくとも、戦後五十年を機に、過去の歴史を未来へとつなげるためにできることはほかにもある。たとえば、村山首相が昨年夏に発表した平和友好交流計画や、元従軍慰安婦のための民間基金構想などをきちんと軌道に乗せることだ。歴史に政略をからめてはならない。
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1997.1.31
見逃せぬ“言論封じ”の動き
ジャーナリストの桜井よしこさんを講師に迎えて行う予定だった講演会が、社団法人神奈川人権センターからの申し入れで中止された。
他の団体の講師選別にまで干渉するのは言論封殺につながる行為である。
ただし、河野談話にあるように、「慰安所の設置、管理および慰安婦の移送」については、軍が直接、間接に「関与」した事実は否定すべくもない。
桜井さんも、その事実を否定するどころか、近著でも「深い深い同情」を表明し基金への国民の協力を呼びかけている。
言論封じによって社会に新たなタブーを作るようなことがあってはならない。
1997.3.30
言論妨害は全体主義への道
評論家の桜井良子さんが、いわゆる従軍慰安婦問題をめぐって「人権」を名乗る団体に講演を妨害された事件があった。歴史教育の見直しを提唱している藤岡信勝・東大教授も、しばしば似たような経験をしているという。
左右を問わず、特定の集団が言論管理をする資格があると思い上がるのは、全体主義に通じる道である。
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1997.4.13
まだ残る“日本性悪説”の呪縛
昨年12月、米司法省は、旧日本軍で従軍慰安婦施設の設立や運営に関与した元軍人の日本人を入国禁止対象者にする、と発表した。それなら、先に、日本で慰安所の設立や運営に関与した米国内の元軍人の責任を明らかにするのが筋である。偽善というべきであろう。
ドイツ軍が占領地域に多数の軍用強制売春施設を設営し、組織的な“女性狩り”をしていたことも明らかにされているが、日本の場合、官憲が「強制連行」したことを示す資料はない。
勤労動員だった女子挺身隊(ていしんたい)を慰安婦徴用のための“女性狩り”だったと、歴史を偽造してまで、日本を“比類なき悪”に仕立てようとした報道などは、そうした偏った姿勢が行き着いた結果ではないか。
1997.8.30
子供にとって「いい教科書」とは
教科書を教師の指導用の教材としてではなく、児童や生徒の学習材として重視すべきだろう。
今、「従軍慰安婦」問題などに代表される近現代史の記述や、歴史教育のあり方をめぐる論争が浮上している。歴史教育は、次世代に、日本の姿を正しく認識させるためにある。反省すべきものは冷静に総括しつつ、過去を見る視点を可能な限り、複眼的・多面的なものにする方向で見直すべき時期にきている。
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1998.4.29
共通の歴史認識を深めたい
山口地裁下関支部が、元慰安婦3人にそれぞれ30万円の慰謝料の支払いを命じる判決を言い渡した。
原告女性らの人格の尊厳を踏みにじった過酷な扱いと、今なお続く苦しみの事実は決して消えるものではない。私たち一人ひとりが責任をかみしめ、その償いのあり方を真剣に考えるのは当然だ。司法の場でも多くの下級審が、人道的見地から国に立法措置を求めている。今回の判決も、その流れの中にある。日韓関係が新たな段階に入った今、慰安婦問題の1日も早い解決を望みたい。そのためにも、事実関係の徹底的な調査と正確な認定が重要だ。
1998.8.4
「慰安婦」問題をもてあそぶな
いわゆる従軍慰安婦問題について中川農相の発言をめぐって、韓国が反発するに違いないと、わざわざ韓国の反発をそそのかしているような報道がある。
撤回したのは、戦時中の勤労動員だった女子挺身隊(ていしんたい)を従軍慰安婦集めの“女性狩り”だったと、歴史を捏造(ねつぞう)していた一部マスコミが、捏造への反省も訂正もないまま、重ねて問題発言だと騒いだからだ。
韓国では、いまだに国定教科書も、関係民間団体も女子挺身隊が慰安婦狩りのための強制連行だったかのような前提に立っていることの方がおかしい。金大中大統領も、それを混同しているようにみうけられる。
日本政府がいま、韓国に対していうべきは、女子挺身隊と慰安婦とは異なるものだというけじめをきちんとつけよ、ということのはずだ。
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1998.8.11
国連の権威損なう「慰安婦」報告
国連人権小委員会のマクドガル特別報告者が、いわゆる従軍慰安婦問題について日本政府に国家賠償と関係者の処罰を求める報告書をまとめた。
慰安婦問題について、クマラスワミ特別報告者が、二次にわたる報告書を出している。96年の一次報告は、詐話師とさえ評される日本人が創作した“慰安婦狩り物語”をそのまま引用するなどきわめて粗雑なものだった。
どの国、どの民族の歴史も、きれいごとばかりではない。こうした歴史認識のバランスを欠いた、特定国のみを悪とするかのような要求は、「普遍性」を掲げる国連の権威を損なうことになる。
詐話師の偽書を称揚したり、勤労動員だった女子挺身(ていしん)隊を“慰安婦狩り”だったと歴史を偽造するような一部マスコミや市民グループ等が、国際社会に対して、偽情報を振りまいてきたからだ。加えて、浅薄な外交的思惑から、裏付けもないまま、慰安婦の「強制連行」を認めたかのような93年の河野官房長官談話があった。この談話がその後、慰安婦問題をいかに混乱させたかを考えれば、できれば早く修正されるべきである。
1998.12.5
良好な“環境”が必要な天皇訪韓
日本のマスコミにも問題はある。一部マスコミは、とかくこれまで、政治家の発言を大げさに取り上げては、ことあれかし風に騒ぎ立てる傾向があった。時には、勤労動員だった女子挺身(ていしん)隊を、従軍慰安婦狩りだったとする歴史の捏造(ねつぞう)まで行って、韓国内の反日感情を煽(あお)り立ててきた。
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1999.6.25
検定で気になる対決の「残り火」
24日公表された今年の検定で象徴的な例があった。
小学校6年生の社会科教科書だ。戦争中の朝鮮半島で、若い女性が「工場や戦地など」に送り出されたとあったのが、検定で「工場など」と改められた。
「参考意見」の形で「慰安婦の意味なら遠慮していただきたい」との意向を伝えていたという。
慰安婦についての指導は、小学生にはその発達段階からみてふさわしくないという文部省の見解だ。それを公式に意見として示さずに、言わば非公式チャンネルで伝えことになる。
文部省の立場はきちんと検定意見として表明されるべきだ。「意見」の使い分けは、不透明で密室での押し付けとの批判も招きかねない。
2000.5.19
四百年の交流に新たな発展を
先の大戦の一時期、当時のオランダ領だったインドネシアで敵として向かい合う不幸な関係へ一変するが、その歴史の体験が今日までなお両国に微妙な心のわだかまりとして残っている。旧日本軍はオランダ人兵士4万、民間人9万人を収容所に抑留し、一時、慰安婦も徴用したとされる。
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2001.3.2
日本は思想の多様性許容の国だ
いわゆる従軍慰安婦問題。これは、そうした特定マスコミが、戦時の勤労動員だった女子挺身(ていしん)隊を、強制的な“慰安婦狩り”制度だったとする歴史を捏造(ねつぞう)した結果、一時、日韓関係を極度に悪化させた。歴史を捏造してまで、日本を比類のない悪の権化に貶(おとし)めようなどというのは、「自虐史観」の極みである。
2001.3.30
無理があった「国の賠償責任」 【慰安婦判決】
韓国で従軍慰安婦と女子勤労挺身(ていしん)隊員が混同されてきたことは、一審判決でも指摘されたことだ。ただし、日本政府が、勤労動員だった挺身隊を慰安婦の強制連行だとする韓国の人々の誤解を解く努力を十分にしたかといえば、疑問が残る。
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2005.1.15
不可解な「制作現場の自由」論 【NHK番組問題】
「女性国際戦犯法廷」では、昭和天皇が「強姦(ごうかん)」の罪などで起訴され有罪が言い渡された。このような性格の「法廷」の趣旨にそった番組が「制作現場の自由」としてそのまま放送されたとすればNHKの上層部はあまりに無責任、ということになる。そもそも従軍慰安婦問題は、戦時勤労動員の女子挺身(ていしん)隊を「慰安婦狩り」だったとして、歴史を偽造するような一部マスコミや市民グループの偽情報を振りまいたことから、国際社会の誤解を招いた経緯がある。
2005.2.6
何のための事業だったのか 【女性基金】
この「基金」が創設された経緯には歴史の歪曲(わいきょく)が大きく作用していた。たとえば、一部の新聞が戦時勤労員だった「女子挺身(ていしん)隊」制度を旧日本軍の“慰安婦狩り”システムだったとするキャンペーンを展開したりした。これが、慰安婦はすべて強制連行によるものという誤った歴史認識を国内外に振りまくことになり、とりわけ韓国国民に、感情的な反応を呼び起こした。
日本政府の一連の対応も、「不見識」としかいいようがないものだった。代表的なものは、1993年8月、宮沢政権下の河野洋平官房長官談話だろう。この談話のなかでは、慰安婦の“強制連行”に「官警等が直接これに加担したこともあった」とされた。
日本国内でも「強制連行」への「償い」をすべきだという運動が勢いを増した……という経緯により、「基金」が設立されたのである。
慰安婦は官憲に強制連行されたとする“政府見解”を前提に政治的に設立された「基金」は「償い金」支給の対象者をどんな基準で選別したのであろうか。
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2005.4.6
検定、採決は日本の国内問題だ 【歴史教科書】
中学校教科書の検定結果が公表された。
いわゆる従軍慰安婦に関連して言及した歴史教科書は、現在の3社から1社に減ることになった。
歴史教科書に従軍慰安婦についての記述が登場した背景には、慰安婦はすべて強制連行によるものという誤った歴史認識が内外に広まったことがあった。日本の一部勢力が、戦時の「女子挺身(ていしん)隊」という勤労動員体制について「慰安婦狩り」だったように、喧伝(けんでん)したためである。その誤りが明らかになった以上、慰安婦に関する記述が教科書から削除されるのは、当然のことだろう。
教科書制度は国家主権に属する問題である。これを揺るがすような外国の圧力は決して許されない。
2006.10.16
日本政府はきちんと反論せよ 【「慰安婦」決議案】
米下院の国際関係委員会が、いわゆる従軍慰安婦問題で日本非難決議案を議決した。
慰安婦問題は1990年代初頭、一部全国紙が、戦時勤労動員制度の「女子挺身(ていしん)隊」を“慰安婦狩り”だったと、歴史を捏造(ねつぞう)して報道したことから、日韓間の外交問題に発展した。当時、「慰安婦狩りに従事した」と名乗り出た日本人もいて、これも「強制連行」の根拠とされた。だが、この証言は作り話だった。90年代半ばには、学術レベルでは「強制連行」はなかったことで決着がついた問題だ。
第2次大戦中、ドイツは占領地域で組織的な“女性狩り”をしていた。にもかかわらず、米議会がこれを一度も問題にしていないのは、なぜか。
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2006.10.31
問題の核心は「強制連行」の有無だ 【河野談話】
河野談話は、その前提となる事実認定で、旧日本軍や官憲による「強制連行」があったことを認める記述となっている。
慰安婦問題は、一部全国紙が勤労動員制度である「女子挺身(ていしん)隊」を“慰安婦狩り”だったと虚報したことが発端だ。慰安婦狩りをやったと“自白”した日本人も現れたが、これも作り話だった。政府の調査でも、強制連行を示す直接の資料はついに見つからなかった。
大事なのは事実である。軍や官憲による強制連行はあったかなかったか――。
やはり強制連行の事実が見つからないのであれば、河野談話は見直されるべきである。
2007.3.7
核心をそらして議論するな 【慰安婦問題】
いわゆる従軍慰安婦問題の核心は、官憲による「強制連行」があったかどうかだ。
首相は、慰安婦の募集について、「狭義の意味の強制性を裏付ける証言はない」と強調した。「官憲が家に押し入り、人さらいのごとく連れて行く、『慰安婦狩り』のような強制的なもの」、つまり、官憲による強制連行はなかったということを明確にした。その一方で首相は、民間業者による、本人の意思に反した「広義の強制性」があったことを認めた。だが、こうしたケースと、軍による強制連行とは、全く違うものだ。
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2007.4.29
盤石の同盟関係へ欠かせぬ努力 【日米首脳会談】
訪米前、米下院外交委員会に、いわゆる従軍慰安婦問題に関する対日決議案が提出され、政治問題化した。首相は、元慰安婦に対する同情と謝罪の意を表したが、決議案の内容は、全くの事実誤認に基づいている。この誤解を解いていかなければならない。
2007.6.28
米議会の「誤解」の根元を断て 【慰安婦決議】
戦前、親やブローカーの手で、自らの意思に反して、慰安婦にさせられた女性は多数いた。しかし、これと、日本軍による、いわゆる「強制連行」とは、明らかに意味が違う。
安倍首相は、「河野談話」を継承すると言う。外交的配慮からだろうが、その立場をとる限り、「強制連行」という誤解は消えない。談話に誤りがあるなら、見直しを躊躇(ちゅうちょ)するべきではない。br />
麻生外相は3月、決議案をめぐる動きについて、「日米を離間させる工作」と指摘した。背後で、中国、韓国系の反日団体が影響力をふるっている。
記事抜粋
2007.8.1
誤った歴史の独り歩きが心配だ 【慰安婦決議】
慰安婦問題では、1990年代初め、戦時勤労動員だった「女子挺身(ていしん)隊」が日本政府による“慰安婦狩り”制度だったとして、一部の新聞が全く事実に反する情報を振りまいた経緯がある。
他方で、日本国内にも、全体として「強制性」があったとする主張もある。しかも、「強制性」の具体的内容の説明をしないまま、米議会の決議を当然視するような論調を展開している。決議は「慰安婦制度は20世紀最大の人身売買の一つ」としている。そうした“慰安”施設は、旧日本軍特有のものではなかった。
第2次大戦中、ドイツ軍にも“慰安”施設があり、占領された地域の女性が組織的・強制的に徴収された。
なぜ、日本だけが非難決議の対象とされるのだろうか。決議の背景には、提案者のマイケル・ホンダ民主党議員を全面的に支援する中国系の反日団体の活発な動きがあった。ドイツについては同様の運動団体がないせいだろう。もちろん、米軍の“道義的”責任を追及する団体はない。
2007.12.15
欧州での連鎖反応が心配だ 【慰安婦決議】
第2次大戦中、日本がオランダ軍を追い払い軍政を敷いたインドネシアでは、収監されていたオランダ人女性が、日本軍兵士によって連行され、強制的に「慰安婦」にされた事件がおきている。
ヨーロッパでは、ほとんど問題にされていないが、第2次大戦中、ドイツ軍も東ヨーロッパなどの占領地に、500か所以上の“慰安所”を持っていた。「ナチスがユダヤ人女性を兵士用の売春婦として連行した」とローマ法王に報告したカトリック関係者の文書を始め、いくつもの文書が残されている。
自らの国の問題には口をつむぐつもりなのだろうか。