1990年代初頭、韓国だけでなく日本でも挺身隊と「慰安婦」を混同していたこと、被害の規模を説明するために20万人という数字が使われていたことは、読売新聞からも読み取れます。
金学順さんの名乗り出のちょうど4年前の1987年8月14日。読売新聞は「劇団夢屋」の舞台を紹介する記事1で、以下のように解説しています。
記事 1~5
記事抜粋
従軍慰安婦とは、旧日本軍が日中戦争と太平洋戦争下の戦場に設置した「陸軍娯楽所」で働いた女性のこと。昭和13年から終戦の日までに、従事した女性は20万人とも30万人とも言われている。「お国のためだ」と何をするかもわからないままにだまされ、半ば強制的に動員されたおとめらも多かった。特に昭和17年以降「女子挺身隊」の名のもとに、日韓併合で無理やり日本人扱いをされていた朝鮮半島の娘たちが、多数強制的に徴発されて戦場に送り込まれた。彼女たちは、砲弾の飛び交う戦場の仮設小屋やざんごうの中で、一日に何十人もの将兵に体をまかせた。その存在は、世界の戦史上、極めて異例とされながら、その制度と実態が明らかにされることはなかった。
今、読売新聞が否定しているほぼすべての要素が入っている、貴重な記事です。 「挺身隊」については、2でも「朝鮮人女性が女子挺身(ていしん)隊の名でかり出され」、3や4でも「従軍慰安婦をはじめとする女子挺身(ていしん)隊」と混同した記述がみられ、6では「挺身(ていしん)隊(韓国では従軍慰安婦をこう混同して呼ぶ)」との説明を入れています。9は1998年の記事ですが、日韓会談で金大中大統領が「女子挺身(ていしん)隊(従軍慰安婦)問題」と発言したのを、そのまま引用しています。
記事抜粋
朝鮮人女性が女子挺身(ていしん)隊の名でかり出され
記事抜粋
従軍慰安婦をはじめとする女子挺身(ていしん)隊
記事 6~10
記事抜粋
挺身(ていしん)隊(韓国では従軍慰安婦をこう混同して呼ぶ)
記事抜粋
20万人
記事抜粋
挺身隊
従軍慰安婦
記事抜粋
女子挺身(ていしん)隊(従軍慰安婦)問題
挺身隊と「従軍慰安婦」の混同については、8の中学校教科書で「挺身隊」との記述が「従軍慰安婦」に変わったとの報道や、10の女子挺身隊訴訟に関連して、「韓国では勤労挺身隊員は、慰安婦と同視されていた」との判決や、「戦後帰国した韓国でも、従軍慰安婦と同一視され精神的苦痛を受けた」との原告の主張を読売新聞でも伝えています。
なお、被害者数については、読売新聞でも127で「20万人」という数字を使っており、このパネル展にある他の記事でも見つけることができます。
記事抜粋
韓国では勤労挺身隊員は、慰安婦と同視されていた
戦後帰国した韓国でも、従軍慰安婦と同一視され精神的苦痛を受けた
記事 11~15
吉見義明中央大学教授が発見した軍の関与を示す公文書が、1992年1月11日に朝日新聞紙上で報じられました。今では読売が朝日を攻撃するネタのひとつですが、1月12日の読売新聞には「吉見義明」も「朝日新聞」もなく、「日本軍が慰安所の設営や慰安婦の徴集・監督をしていたことを示す資料が防衛研究所図書館に所蔵されていた」11という書きぶり。他紙のスクープが悔しかったのでしょうか。
1992年以降、次々と見つかる「慰安婦」関連公文書はそのつど報道しているようです。米国で発見された管理規則については、「現地部隊作成の詳細な管理規則が残っていたことにより、上層部から現地部隊まで旧日本軍が一体となって慰安所に深く関与していたことがはっきりした」と資料を評価。今とはまったく違う解釈です。
読売新聞は公文書の発見は報じていますが、朝日がオランダ公文書館や情報公開請求で実施したような、「独自の調査報道」によって「慰安婦」制度の実態を明らかにする努力は、読売の記事には見当たりません。
記事抜粋
日本軍が慰安所の設営や慰安婦の徴集・監督をしていたことを示す資料が防衛研究所図書館に所蔵されていた