【wam緊急ミニ企画展】徹底検証! 読売『慰安婦』報道
【国連】クマラスワミ報告と北京女性会議

1995年の北京女性会議と1996年のクマラスワミ報告の報道は、「慰安婦」問題が国際的な課題であることを印象づけました。

アジアで初めて開かれた国連女性会議については、読売新聞でも北京会議のロゴが付されてシリーズで報道されています。9では、「戦争中、『従軍慰安婦』を作りだした、買春容認の性文化と、女性そしてアジアへの蔑視」「そうした差別意識が、経済力によって増長され、再びアジアの女性たちに向けられている。日本社会の問題の根は深い」とは記者の解説。

11では、「『性的奴隷』という言葉は、『慰安婦』という呼称に泣いた女性に救済の道を開いた。たったひとことが多くの女性を左右するのです」というフィリピンの「慰安婦」問題活動家のコメントを紹介、12でも国連女性に対する暴力特別報告者のクマラスワミさんを写真とともに紹介し、クマラスワミ報告が「政府ではなく、民間基金で償いを」という構想への反対運動に、はずみをつけた」、さらに13でも「慰安婦」は性奴隷に該当するとして国による補償を求める請願書をNGOが提出したことについて「これらの動きが補償の必要性を求める綱領の強い文言に厚みを持たせることになった」とNGOの動きを肯定的に評価しています。

47は1990年代はじめ、何度も被害国が国連による調査を求めていたことを伝えています。

1521はクマラスワミ関連報道です。国連人権委員会で「日本政府は慰安婦に言及した付属文書自体を評価の対象から外すよう求めた」が受け入れられなかったこと18、日本政府は法的に決着済と主張する反論書を提出したこと17、苦肉の策として「留意」という形で採択させたこと19を報じています。日本政府は「アジア女性基金」に関する文書に切り替えて説明したものの、「女性基金に対する支持をはっきり表明した国が一つもなかったのも事実だ」19とも。韓国が「日本人記者に大きく取り上げないでほしいと訴えた」19ことに言及、当時は韓国政府も外交問題にしたくなかった様子を伝えています。

1996年、国連の動きをまとめた14の記事では、「13歳の時、日本軍の駐屯所に連行された私は、毎日6人の日本兵にレイプされました」と、軍に連行されたフィリピンの被害者を紹介。さらに「『慰安婦』問題を巡る日本と国際社会の認識のずれは小さくない」、東大名誉教授の坂本義和さんの「人権委の決議は、日本の対応を変えるラストチャンス」とのコメントで締めくくっています。1998年のマクドゥーガル報告に関する記事2223以降、読売新聞からも国連での「慰安婦」報道はめっきり減っていきます。


記事 1~5







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記事 6~10









記事抜粋

戦争中、『従軍慰安婦』を作りだした、買春容認の性文化と、女性そしてアジアへの蔑視

そうした差別意識が、経済力によって増長され、再びアジアの女性たちに向けられている。日本社会の問題の根は深い




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記事 11~15


記事抜粋

性的奴隷』という言葉は、『慰安婦』という呼称に泣いた女性に救済の道を開いた。たったひとことが多くの女性を左右するのです


記事抜粋

政府ではなく、民間基金で償いを」という構想への反対運動に、はずみをつけた


記事抜粋

これらの動きが補償の必要性を求める綱領の強い文言に厚みを持たせることになった


記事抜粋

13歳の時、日本軍の駐屯所に連行された私は、毎日6人の日本兵にレイプされました

『慰安婦』問題を巡る日本と国際社会の認識のずれは小さくない

人権委の決議は、日本の対応を変えるラストチャンス





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記事 16~20






記事抜粋

日本政府は慰安婦に言及した付属文書自体を評価の対象から外すよう求めた



記事抜粋

女性基金に対する支持をはっきり表明した国が一つもなかったのも事実だ

日本人記者に大きく取り上げないでほしいと訴えた


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記事 20~23




展示パネル 4