1942年3月に日本が支配下に置いたオランダ領インドネシア。読売新聞は、なかでもオランダ人の「慰安婦」被害者について大きく扱っています。
1992年12月、オランダ人として初めて名乗り出て証言したオハーンさん。1では「読売新聞のインタビューに応じ」、「戦時中にインドネシアの収容所から強制連行されて軍の慰安所で働かされたことを明らかにした」と、「強制連行」された被害を伝えています。また、読売では珍しく「慰安婦」被害者をインタビューして記事にしたことがうかがえます。
オランダの戦争被害者による裁判は479で伝えています。「慰安婦」被害者で原告のプルークさんも写真で紹介、「経済力をつけた日本に文明人の心があるなら、きちんとした補償をすべきだ」3とのコメントを紹介しています。10は抑留所に関する記事ですが、「慰安婦」が連行されていった様子を語る被抑留者のインタビューを詳細に掲載しています。
13の「戦時下のアジア」の囲みの中では、写真はありませんが、インドネシア人被害者であるスリウィヤンティさんの被害を紹介しています。「42年、父親が日本兵に捕えられている間に、複数の兵士に自宅前で襲われた。初潮前の14歳。船でスマトラ島へ、さらに南のピリトン島に連行され、将校の宿舎に監禁された」。
このように、数は少ないものの、読売新聞でも軍による「強制連行」を経験した被害者の証言を、紙上で伝えていることがわかります。これらの証言は、証拠のひとつではないのでしょうか。
さて比べてみると、オランダとインドネシアでは報道の量がまったく違います(インドネシアは1112の豆記事のみ。13は一部)。インドネシアの被害者は裁判をしていなかったとはいえ、何度も来日して被害を証言しています。読売新聞にも、どこかに欧米中心主義が残っているのかもしれません。
記事 1~5
記事抜粋
読売新聞のインタビューに応じ」、「戦時中にインドネシアの収容所から強制連行されて軍の慰安所で働かされたことを明らかにした
記事抜粋
経済力をつけた日本に文明人の心があるなら、きちんとした補償をすべきだ
記事 11~15
記事抜粋
42年、父親が日本兵に捕えられている間に、複数の兵士に自宅前で襲われた。初潮前の14歳。船でスマトラ島へ、さらに南のピリトン島に連行され、将校の宿舎に監禁された