1990年代前半の読売では、「慰安婦」、戦争、女性の人権をテーマにした催し1~13や、「慰安婦」を主題にしたアート、劇、映像作品14~20が多数紹介されています。「事実に積極的に向き合う姿勢が必要」8、「生の証言まじえ防止策探る」10、「日本政府に対して国会での謝罪、個人補償などを強く求めている」11、「慰安婦問題への理解が広がってほしい」18など、主催者やアーティストの思いもしっかりと伝え、日本国内のみならず、韓国、フィリピン、インドネシアの映画やドラマ161820、ドイツで開催された国際会議12のようすも紹介されています。
1の「アジア女性会議」は読売新聞も後援しており、社会の関心の高まりを受け、「慰安婦」問題を扱う「『戦争と性』の分科会も増設」したと積極的です。朝鮮民主主義人民共和国、韓国、フィリピン、オランダ人被害者の証言集会の紹介記事もあり、「日本人が自宅に来て『軍服を作る工場での労働奉仕に来い』と無理やり連れだした」という金福姫さんの証言を「朝鮮人の慰安婦強制連行の体験」と紹介し、「これでも、日本政府は知らない、やっていないと言うのか」と金さんの怒りも伝えています6。
また、インドネシアで完成したテレビ映画の記事では、「中部ジャワを中心とする元慰安婦約300人が、最近、個人への補償を求めて非政府機関に登録するなど、日本の戦後処理を改めて問いなおす動きも活発化している」18とインドネシア現地の情勢も報じています。
他に、女性たちの被害体験や戦後の苦難を知って「慰安婦」問題に取り組み始めた女性たちをコラムで紹介しており3・5、写真や記事に松井やよりさんの名前も1011。また、日本在住のフランス人神父が「『国民基金』の白紙撤回など5項目を要求して」、国会前で3日間のハンガー・ストライキを行ったという小さな記事21もありました。
しかし、このように丁寧に市民運動を追った報道も1996年まで(地方版の記事は首都圏版のみ)。それ以降は見当たらず、唯一の例外は投書が掲載された2000年の「『慰安婦問題話し合おう』あす千代田で日韓学生交流会」の記事13だけです。「記事にしない」という報道姿勢から、「慰安婦」をめぐる社会状況の変化が伝わります。
記事 1~5
記事 6~10
6記事抜粋
日本人が自宅に来て『軍服を作る工場での労働奉仕に来い』と無理やり連れだした」という金福姫さんの証言を「朝鮮人の慰安婦強制連行の体験
これでも、日本政府は知らない、やっていないと言うのか
記事抜粋
事実に積極的に向き合う姿勢が必要
記事抜粋
生の証言まじえ防止策探る
記事 16~20
記事抜粋
慰安婦問題への理解が広がってほしい
中部ジャワを中心とする元慰安婦約300人が、最近、個人への補償を求めて非政府機関に登録するなど、日本の戦後処理を改めて問いなおす動きも活発化している
記事抜粋
『国民基金』の白紙撤回など5項目を要求して