1990年代初頭、「慰安婦」被害者に出会い、その証言を聞いた時の衝撃と、日本人に問われる問題の大きさに誰もが圧倒されました。このことを様々なジャンルの知識人が、それぞれの言葉で語っています。
新内語りの岡本文弥さんはマスコミ報道で「慰安婦」の訴えを知り、「あまりにひどい。国民の一人として謝罪の気持ちを伝えたい」と思って、新作「ぶんや・ありらん」を作り、各地で演奏会を開きました。1
劇作家の如月小春さんはアジア女性演劇会議’92に参加して、各国の女性演劇人たちと談論風発をしながら、売買春が今も盛んな日本を内省し、「慰安婦」制度を作りあげた日本の近代に思いを馳せています。2
「女遊びは男の甲斐性、女の性を売り買いすることを<遊び>と言ってのけるこの国で、従軍慰安婦なるおぞましい発想は、生まれるべくして生まれたのだ。そして今現在も、その問題についてまともに取り組もうとしない」
また、1993年の国連の世界人権会議(ウィーン会議)に参加した社会学者の磯村英一さんも、「慰安婦問題は過去のことだけではない。現代の日本で行われているアジアの出稼ぎ女性たちに対する買春も重大な人権問題」3と語っています。
ところが残念なことに、「慰安婦」問題はその後、日本人が向き合うべき重要課題としての展開はしてきませんでした。90年代後半になると、作家の中沢けいさん4やノンフィクションライターの最相葉月さん5が書いているように、マスメディアでも歴史教育の世界でも、この問題をめぐる議論は尻すぼみになっていくのです。
記事 1~5
記事抜粋
あまりにひどい。国民の一人として謝罪の気持ちを伝えたい
記事抜粋
女遊びは男の甲斐性、女の性を売り買いすることを<遊び>と言ってのけるこの国で、従軍慰安婦なるおぞましい発想は、生まれるべくして生まれたのだ。そして今現在も、その問題についてまともに取り組もうとしない
記事抜粋
慰安婦問題は過去のことだけではない。現代の日本で行われているアジアの出稼ぎ女性たちに対する買春も重大な人権問題
記者たちの著名入り記事にも、「慰安婦」問題をめぐる時代の空気が反映されています。一言でいえば、1990年代前半の前向きで意欲的なトーンが90年代後半には薄れていき、淡々と事実を伝えるものになっていくのです。
1992年1月の「世界の窓」では、ソウル特派員が「慰安婦」を含む戦争被害者を、「日本の植民地支配によって人生を狂わされた人々」6と書きました。
同年2月の「取材手帳」は、「慰安婦」問題に出会って驚いた高校生たちの感想文を紹介しながら、「歴史的事実は現在と直結しており、過去の意教えるべきことはしっかりと教える必要があるのではないでしょうか。生徒には受け止める力があります」7という教師の言葉で締めくくっています。
それが1998年3月の「記者席」では、日韓のサッカー戦で日本に敗れた韓国の人々の反応を伝えつつ「慰安婦」問題にも触れて、「歴史的事実は現在と直結しており、過去の意味を今日に問いかけているのだ」8などと、微妙な書き方になっていました。
もちろんメディアの役割は事実を正確にきっちり伝えることが第一ですが、910などの記事にも、記者たちののびのびとした空気が感じられません。こんなところに、「慰安婦」問題に否定的になっていく読売新聞社内の「萎縮傾向」を感じるのは、うがちすぎでしょうか。
記事 6~10
記事抜粋
日本の植民地支配によって人生を狂わされた人々
記事抜粋
歴史的事実は現在と直結しており、過去の意教えるべきことはしっかりと教える必要があるのではないでしょうか。生徒には受け止める力があります
記事抜粋
歴史的事実は現在と直結しており、過去の意味を今日に問いかけているのだ