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戦時性暴力、「慰安婦」問題の被害と加害を伝える日本初の資料館

日本で行なわれた日本軍性暴力被害者裁判

日本軍による性暴力の被害女性たちは、沈黙をやぶり日本政府に謝罪と賠償を求めて次々と裁判を起こしました。しかし、国家無答責や除斥期間、二国間条約等で解決済みといった理由で、すべてが棄却されています。

アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟

提訴人
金学順ら「慰安婦」被害者9名と元軍人・軍属
1991年12月6日 東京地裁に提訴
2001年3月26日 東京地裁で請求棄却
2003年7月22日 東京高裁で請求棄却
2004年11月29日 最高裁で上告棄却・判決
「慰安婦」にさせられたと初めて名乗り出た金学順さんたちが提訴(金学順さんは1997年死去)。地裁判決は事実認定を行ったものの、法的主張は認めず請求を棄却。高裁では、強制労働条約違反、醜業条約違反などの国際法違反を指摘して、日本政府の安全配慮義務違反を認定。「国家無答責」の法理についても「現行憲法下では正当性、合理性は見いだしがたい」と高裁では初めて否定したものの、請求は棄却された。

釜山「従軍慰安婦」・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟

提訴人
河順女ら3名の「慰安婦」被害者と女子勤労挺身隊7名
1992年12月25日 山口地裁下関支部へ提訴
1998年4月27日 山口地裁下関支部で一部勝訴
2001年3月29日 広島高裁で全面敗訴
2003年3月25日 最高裁で上告棄却・不受理決定
韓国釜山市等の日本軍「慰安婦」被害者3名と女子勤労挺身隊7名を原告とする裁判。韓国社会では「慰安婦」は長く「挺身隊」と同義語であり、性暴力被害者と軍需工場への強制動員被害者は混同されてきた。1998年の下関判決は「慰安婦」原告の被害に対しては「徹底した女性差別と民族差別思想の現れ」と認定し、日本国に立法不作為による賠償を命じた。しかし挺身隊原告の請求は棄却された。広島高裁で敗訴。最高裁で棄却決定。

フィリピン「従軍慰安婦」国家補償請求訴訟

提訴人
マリア・ロサ・ルナ・ヘンソン、トマサ・サリノグ、エヌ・ゲートルード・バリサリサら46名
1993年4月2日 18名が東京地裁へ提訴
1993年9月20日 28名が追加提訴
1998年10月9日 東京地裁で請求棄却
2000年12月6日 東京高裁で請求棄却
2003年12月25日 最高裁で上告棄却・不受理決定
フィリピン被害の特徴は、家族の虐殺の中で、銃剣を突きつけられて日本軍駐屯地等へ拉致監禁され性奴隷とされたことだ。被害者の7割は未成年者。1審で、9名の本人尋問が行われたが、裁判官は被害女性の首の傷跡の確認を拒否した。証人尋問は唯一、国際人道法学者・カルスホーベン氏によるもので「ハーグ条約3条は個人の請求権を定めたもの」との証言が行われた。上告棄却はクリスマスの日。「せめて、被害事実を認めてほしかった!」悲痛な叫びはつづく。

在日韓国人元「従軍慰安婦」謝罪・補償請求訴訟

提訴人
宋神道
1993年4月5日 東京地裁へ提訴
1999年10月1日 東京地裁で請求棄却
2000年11月30日 東京高裁で請求棄却
2003年3月28日 最高裁で上告棄却・不受理決定
宋神道さんは、在日韓国人被害者としては唯一の原告である。生活するうえでのさまざまな制約、差別・偏見のなかで裁判を継続するのは容易なことではなかった。地裁判決では、中国大陸において部隊とともに移動せざるを得なかった7年間に及ぶ被害の事実が認定された。高裁では、はじめて「強制労働条約や醜業条約に違反した行為があり国際法上の国家責任が発生した」と認められたが、いずれも国家無答責、 除斥期間を理由に退けられた。

オランダ人元捕虜・民間抑留者損害賠償請求事件

提訴人
「慰安婦」被害者1名と元捕虜・抑留者7名
1994年1月25日 東京地裁へ提訴
1998年11月30日 東京地裁で請求棄却
2001年10月11日 東京高裁で請求棄却
2004年3月30日 最高裁で上告棄却・不受理決定
旧蘭印(インドネシア)でオランダ人10万人余の民間人が日本軍に抑留された。この抑留者の中から、若い女性が「慰安婦」として徴発された。特に、生後間もない子どもから成人前の少年少女時代の3年余を抑留所で過ごした人たちのトラウマは、成人後もさまざまな障害をもたらした。ハーグ条約3条を基に、人道法の違反と損害賠償が国際法として従来から認められていると主張したが、1、2審とも、国際法は個人の請求権を基礎付けるものでないとして棄却。上告も棄却された。

中国人「慰安婦」損害賠償請求訴訟 第一次

提訴人
李秀梅、劉面煥、陳林桃、周喜香
1995年8月7日 東京地裁へ提訴
2001年5月30日 東京地裁で請求棄却
2004年12月15日 東京高裁で請求棄却
2007年4月27日 最高裁で上告棄却・不受理決定
地裁では21回の口頭弁論が開かれ、原告3名の本人尋問(他の1名はビデオ証言)、2名の意見陳述、国際法の学者証人の尋問が行われたが、地裁判決では事実認定も行わずに請求が棄却された。高裁では11回の口頭弁論が開かれ、控訴人1名と元日本軍兵士、歴史学者の証人尋問、控訴人2名の意見陳述が行われた。高裁判決では、事実認定されたが、法律論では国家無答責・除斥期間で敗訴となった。

中国人「慰安婦」損害賠償請求訴訟 第二次

提訴人
郭喜翠、侯巧蓮(1999年5月死去)
1996年2月23日 東京地裁へ提訴
2002年3月29日 東京地裁で請求棄却
2005年3月18日 東京高裁で請求棄却
2007年4月27日 最高裁で上告棄却・判決
地裁では22回の口頭弁論が開かれ、原告2名の本人尋問が行われた。判決では請求は棄却されたものの、詳細な事実認定と現在までPTSDの被害を受けていることが認定された。高裁では8回の口頭弁論が開かれ、控訴人(故・侯巧蓮長女)と現地で調査した証人の尋問が行われた。  高裁判決では、地裁判決の事実認定とPTSDの認定は維持され、国家無答責の法理を排斥し、日本国の不法行為責任は認めつつ、日華平和条約で解決済みとして請求を棄却した。最高裁判決は「日中共同声明(第5項)で放棄した」として、棄却理由を変更して上告を棄却した。

山西省性暴力被害者損害賠償請求訴訟

提訴人
万愛花、趙潤梅、南二僕(故人)ほか7名
1998年10月30日 東京地裁へ提訴
2003年4月24日 東京地裁で請求棄却
2005年3月31日 東京高裁で請求棄却
2005年11月18日 最高裁で上告棄却・不受理決定
地裁では16回の弁論が開かれ、原告10名中8名の本人尋問と、被害地での目撃証人2名の証人尋問が行われた。地裁判決では請求は棄却されたものの、被害事実はほぼ全面的に認められ、日本軍による加害行為を「著しく常軌を逸した卑劣な蛮行」と断罪。立法的・行政的な解決が望まれる旨の異例の付言がなされた。高裁判決では地裁判決の事実認定と付言が再確認され、法律論でも論破したにも関わらず、国家無答責で敗訴となった。

台湾人元「慰安婦」損害賠償請求訴訟

提訴人
高寶珠、黄阿桃ほら9名(うち2名は係争中に死去)
1999年7月14日 東京地裁へ提訴
2002年10月15日 東京地裁で請求棄却
2004年2月9日 東京高裁で請求棄却
2005年2月25日 最高裁で上告棄却・不受理決定
1992年、専門調査委員会による調査の結果、台湾人女性48名の被害事実が確認された(2005年5月現在30名)。台湾の被害形態には次の2種類が混在している。(1)働き口があると騙されて海外の「慰安所」に連行された漢民族の女性たち、(2)部落の近くに駐屯していた日本軍の雑用を言いつけられ、毎日出向く中でやがて強かんが継続された原住民の女性たち。日本政府の謝罪と賠償を求めた訴訟は、事実認定すらなかった1審判決を支持した2審判決が確定した。

海南島戦時性暴力被害賠償請求訴訟

提訴人
陳亜扁、林亜金、黄有良ら8名(うち2名は係争中に死去)
2001年7月16日 東京地裁へ提訴
2006年8月30日 東京地裁で請求棄却
2009年3月26日 東京高裁で請求棄却
2010年3月2日 最高裁で上告棄却・不受理決定
日本軍は南進の基地と資源獲得のために1939年から海南島を占領。原告(海南島の少数民族女性)は駐屯地に拉致・監禁され、日本軍投降まで繰り返し性暴力を受けた。戦中の被害と戦後の日本政府の不作為について損害賠償を請求。地裁・高裁ともに事実は認められ、高裁では「破局的体験後の持続的人格変化」が認定された。「国家無答責」の法理は否定されたものの、日中共同声明(第5項)により賠償請求権が放棄されたとして控訴棄却。最高裁で棄却決定。

「慰安婦」裁判キーワード

立法不作為
戦後の長い間日本の国会が戦時中の性暴力被害に対する補償立法を行わなかったことなど、国会が本来行うべき立法をしないことの責任をいう。関釜裁判における山口地裁下関支部1998年4月27日判決は、慰安所制度の設営・維持・管理について日本軍の関与を認めた1993年の河野官房長官談話から3年が経過しても補償立法を行わなかった立法不作為を不法行為として、損害賠償請求権が発生すると認定した。
国家無答責
1947年に国家賠償法が施行されたが、それ以前に公務員が公権力を行使した際に伴う不法行為については、国家は損害賠償責任を負わないとする考え方で、戦前の判例で適用されていた。「慰安婦」裁判や戦後補償の裁判で国は、戦前の行為なので国家無答責の原則が適用されると主張してきた。しかし、この原則は戦前においてもその適用される場面は限定されていた。また、新しい憲法ができたもとでこのような非民主的な原則が用いられるべきかどうかは、現在も裁判で争われている。
除斥期間
「時効」とは、一定期間の経過によって権利が消滅(消滅時効)したり、権利を取得したりする(取得時効)制度であるが、「時効」が当事者の「援用」という意思表示を以って初めて効力が生じるのに対して、「除斥期間」は、当事者が持ち出さなくても一定期間の経過によって当然に権利が消滅するという考え方。日本政府はいくつかの「慰安婦」裁判で、戦後50年以上を経過しているので除斥期間の経過により損害賠償請求権は消滅したと主張した。
国際法上の個人請求権
国は、国際法は国家と国家の法であるので、たとえ旧日本軍が国際法違反を行ったとしても、一個人が国際法を用いて請求を行うこと(国際法上の個人請求権)は認められていないと主張した。日本の裁判所もそのような誤った前提に依拠してきた。しかし1907年のハーグ陸戦条約3条(日本も批准)は、交戦国は戦闘員の違法行為が与えた損害はすべて国家が賠償すべきことを義務づけている。原告らは、カルスホーベン専門家証人(女性国際戦犯法廷でも証言)などの専門家の意見に基づいて、この規定が被害者の賠償請求権を確認した規定であると主張している。
日本軍「慰安婦」アーカイブズ
女性国際戦犯法廷アーカイブズ

日本軍慰安所マップ

日本軍「慰安婦」関連公文書

「金学順さんと出会いなおす」