抵抗の経験を学ぶ
渡辺美奈(wam)
何をしていても、していなくても、心がざわつく日々が続いています。毎日を大切に過ごしている人たちの日常を一瞬で瓦礫の山にする爆弾と、数でしか示されない人間の死。その暴力を「自由」や「民主主義」の名で語る権力者の映像が垂れ流されるなかで、無力ではないはずの一人の抵抗をどうつなげれば変化がつくれるのか。信じうるものは簡単にはみつかりません。
そんななか、3月はじめにポーランドへ行ってきました。実質3泊4日の短い旅でしたが、隣のウクライナで続く戦争が感じられないほど、町は平穏に見えました。目的はグダンスクに「第二次世界大戦博物館」(2017年3月開館)を訪問すること。2011年、wamに1通のメールがポーランドから届き、第二次世界大戦博物館を設立するのでアジアでの戦争も位置づけたい、日本軍「慰安婦」も展示に入れたいので協力してほしいという内容でした。展示品が必要とのことで「ナヌムの家」を紹介して、その後はすっかり忘れていました。それが昨年、東京外国語大学の「公共圏における歴史」(HIPS)プログラムを通じてスタッフや館長が来日、wamにも来館してくれたことをきっかけに、HIPSからのお誘いで今回の訪問が実現したのです。
1939年9月1日、グダンスクの岬、ヴェステルプラッテでドイツ軍の砲撃によって始まった第二次世界大戦。その地にオープンした「第二次世界大戦博物館」は地下のメイン展示だけで6000㎡あり、1日の来館者が4000人にもなるという大きな国立のミュージアムです。ナチスドイツとソ連の両方に占領されたポーランドの歴史が中心となるのは当然で、日本のアジア侵略に関する展示は少ないと言わざるを得ません。しかし、慰安所マップや金順徳ハルモニの<強制連行>の絵の画像、被害証言の映像など、「慰安婦」に関する展示は比較的充実していました。この巨大な国立博物館が、よくwamのような小さなミュージアムを見つけ、相談してくれたものだと感慨深いものがありました。
市井の人びとの経験を伝えることを理念の一つに掲げるこの博物館はしかし、政治の影響も大きく受けてきました。15年前に連絡をくれた現調査室長のヤン・シュクドリンスキさんも、現館長のラファウ・ヴヌクさんも、やっとの思いでオープンさせた前後に、ポーランド政治の右傾化の波を受けて館を去らざるを得なかったといいます。復帰できたのはこの2-3年のことで、カロル・ナヴロツキ元館長のもとで愛国主義的に変えられた展示を修正したり、時代に合わせたアップデイトなどの作業を続けているそう。ところが、その元館長が2025年の選挙で大統領に就任。歴史をめぐる政治、せめぎあいは、今後も不可避のようです。
「戦争は二度と起こさせない」という思いは同じでも、「平和博物館とは呼ばれたくない」と館長。「平和」を多用したソ連のイメージが根強いからだといいます。展示は、占領下での組織的な抵抗運動にも大きなスペースが割かれており、その経験はレフ・ワレサで有名な「連帯」にも引き継がれたことでしょう。地図から消されたことがあるポーランド。複雑な歴史のなかでの抵抗のありようを、改めて学びたいと思った旅でした。