文部省ヲ廃止スルコト
渡辺美奈(wam)
「文部省は一国にとりて必ずしも必要欠くべからざる機関にあらず」―そう喝破していた高橋是清。そんな数年前の新聞記事を思い出したのは、辺野古沖での痛ましい船舶の転覆事故が起きた後、まるで検察のように同志社国際高校に「現地調査」に入る文科官僚の姿に驚愕したからです。学校管理下での生徒の死亡事故への対応では、異例中の異例。悼み哀しむ時間を与えず、平和教育を「偏向教育」として叩き潰そうという政治的意図を感じたのは、私だけではないでしょう。
「教育は国家100年の大計」という言葉がありますが、現在の教育をめぐる息苦しい状況はこの「昭和100年」の間に作られたもの、と思えば合点がいきます。2022年、wamの教科書展を準備しながら、教育を管理の対象としか考えない文部(科学)省の歴史に心底うんざりしました。
高橋是清が「内外国策私見」で参謀本部廃止や農商省の改組とともに、文部省の廃止を提言したのは1920 年でした。実際に文書の内容を読むと、教育の崇高な理想を掲げるというにはほど遠く、蔵相だった高橋が予算削減を企図していたことが読み取れ、忠君愛国の伝統的精神を知らしめるなら内務省がやればいい、とのあられもない主張さえ含まれていました。しかし、自分たちが作ってきた制度は不変のものではなく、弊害があれば自分たちで変えるのだ、という気概は伝わってきます。
近代明治に手探りでつくられた制度を「昔からの日本の伝統」「変えられないもの」と捉えることに、違和感を覚えます。「天皇制」と呼ばれるシステムもまた、「明治の志士」が作りあげたのに、変えられないと信じ込んでいる人が多すぎます。「天皇制はなくせないから、まずは女性天皇を」。リベラルを自認する人から何度聞いた言葉でしょう。天皇の人権を憂慮するのであれば解放してあげるべきであって、愛子さんを、なにゆえその不自由な地位に就かせたいと思うのでしょうか。今般の「皇室典範」をめぐっては政治的思惑が露呈しまくり、「天皇制の終わりの始まり」の予感さえします。
蔵相として財政手腕を発揮したことで知られる高橋是清は軍事予算の増大に反対、陸軍若手将校の恨みを買って2.26事件で殺されました。それから90年、憲政初の女性の財務大臣には肥大化する軍事予算を憂える様子はありません。憲政初の女性の総理大臣とともに、これまた憲政初の16日間という考える暇を与えない総選挙で多数を得て、軍事化をさらに押し進めています。
国旗国歌法ができ、教育基本法が根底から変えられ、大学自治もないがしろにされるなど、戦後に苦労して作ってきた教育は壊されっぱなしに見えます。しかし、時間軸を広げて、近代明治が作り上げた「常識」を壊すチャンスと捉えられないでしょうか。「いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ」(パブロ・ピカソ)。新しい時代をつくるために、何を破壊すべきか。希望を見出すための自由な発想、思考回路を育むためにも、文部科学省を廃止すること!