池田恵理子(wam館長)
ここ数年の『wamだより』を読み返すと、“戦争ができる国”へ向かう日本社会への危機感が刻々と高まってきたことがよくわかります。フランク・パブロフの寓話『茶色の朝』が
描く、ファシズムが人びとの自己保身や思考停止をいいことに忍び寄り、気がつくと周囲が茶色一色に染まっていた…という恐ろしさは、決して他人事ではないのです。NHKの前代未聞の異常事態を物語る籾井勝人会長の暴言(加えて百田尚樹、長谷川三千子経営委員の言動)と、それでも辞任の気配もないことに憤り愕然としながら、『茶色の朝』の光景が脳裡から去りません。
籾井会長は就任記者会見で、「『慰安婦』は戦争をしているどこの国にもあった」と述べ、韓国からの賠償請求を「全て日韓条約で解決した」と言いました。いずれも日本軍「慰安婦」制度の実態を知らずに右派の歪曲された言説を鵜呑みにし、戦時性暴力や女性の人権について何も考えてこなかったことを暴露した発言です。さらに国際放送や秘密保護法に関して「政府が右ということを左と言うわけにはいかない」「通っちゃったんで言ってもしょうがない」として、NHKは政府の見解を伝える広報機関だと言わんばかりです。
しかしNHKは大本営発表を垂れ流した「国営放送」の過去を反省し、戦後は政府から自立した「公共放送」として再出発しました。権力に追随し、批判精神を失った報道機関はジャーナリズムとは言えません。籾井会長は各方面から批判を浴びると発言を撤回しましたが、経営委員会では「私は大変な失言をしたのでしょうか」と開き直り、個人的見解は変わっていないことがわかります。このような見解を持つ人は「公共放送」の会長にはおよそ不適格であり、極めて危険です。しかもNHKは、自らが抱え込んだこの大問題をまともに報道できていません。現場にはすでに委縮と自主規制が浸透しているのではないでしょうか。
wamでは2 月1 日に会長辞任を求める声明を出し、「慰安婦」問題の各団体と共にNHKに申し入れを行い、NHKの玄関前で「さよなら、籾井会長!」の抗議行動に参加しました。経営委員会が開かれた2 月12日には百田・長谷川両委員の辞任と籾井会長の罷免を申し入れ、日放労と面談し、再度玄関前で抗議行動を行いました。署名活動も行っています。
NHKで働いていた私は、こんな時には事前に後輩のディレクターたちに連絡をとるのですが、彼らからは閉塞した現状を嘆く悲痛な声が聞こえてきました。厳しい状況の中で格闘している少数のNHK職員は、事なかれ主義の横行や自主規制・事前検閲・相互監視が強化されていること、マークされた職員には人事的制裁が加えられることなどを訴えています。それでも、玄関前で集会をしている私たちに目立たないように小さく手を振りに来たり、「NHK職員、がんばれ!」「NHK職員も闘おう!」というシュプレヒコールに心打たれた…と言う職員もいました。安倍首相の思惑通りにNHKを乗っ取られてはなりません。NHKの内外と連帯しながら、籾井会長と二人の経営委員の辞任を強く求め続けましょう!
渡辺美奈(wam事務局長)
韓国の「『慰安婦』16人の証言に裏付けなし」「河野談話見直しへ」など、日本軍「慰安婦」の事実を認めた河野談話を覆そうとする動きが報道されています。安倍首相は「見直しはしない」と明言しましたが、「河野談話作成の経緯について検証する」という菅義偉官房長官の方針は撤回されていません。「証言に信憑性はない」「日韓で摺り合わせがあった」と結論づけて、河野談話の価値を下げていこうという目論見でしょうか。
状況は目まぐるしく変わりますが、歴史の事実は変わりません。「韓国政府が強制性を認めるよう求めた」という検証結果になったとしても、問題は起こりません。河野談話が認めた事実は、公文書でもすでに明らかな事実だからです。河野談話への攻撃を今、どのように理解し、反論すればいいのか、関連情報を整理してみました。
まず、河野談話は韓国の被害者16人の証言のみで書かれたものではありません。以下は、政府見解を発表するにあたっての調査概要からの抜粋です。各省庁に残っていた文書、外国の公文書館等で発見した資料、元軍人や研究者からの聞き取り、出版物などを参照したことが書かれています。
▽調査対象機関
警察庁、防衛庁、法務省、外務省、文部省、厚生省、労働省、国立公文書館、国立国会図書館、米国国立公文書館▽関係者からの聞き取り
元従軍慰安婦、元軍人、元朝鮮総督府関係者、元慰安所経営者、慰安所付近の居住者、歴史研究家等▽参考として国内外の文書及び出版物
韓国政府が作成した調査報告書、韓国挺身隊問題対策協議会、太平洋戦争犠牲者遺族会など関係団体等が作成した元慰安婦の証言集等。なお、本問題についての本邦における出版物は数多いがそのほぼすべてを渉猟した。内閣官房内閣外政審議室
「いわゆる従軍慰安婦問題について」(1993.8.4)より
「関係者からの聞き取り」のうち、上記囲みの下線「元従軍慰安婦」は「韓国の被害者16人への聞き取り調査」を意味します。本来は、当時すでに名乗り出ていた中国、台湾、フィリピン、オランダの被害者にも聞き取りをすべきでしたが、日本政府は韓国人の被害者以外は公式に聞き取り調査を実施していないからです。
産経新聞は、2013年10月16日付の記事で、この16人の被害者の聞き取り記録を入手したと報道していますが、産経新聞が入手した資料が「本物」かどうかは不明です。聞き取りは非公開を前提にしていたため、市民団体による情報公開請求にも「非開示」と回答されており、政府以外は誰も確認できません。2014年3 月13日、内閣委員会での同一文書かをただした質問に対しても、菅官房長官は「お答えすることは差し控えたい」と回答を逃げました。
河野談話のなかで安倍政権が否定したい文言は明らかで、それは以下の下線の部分です。
慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
「河野官房長官談話」(1993.8.4)より
安倍首相は2007年3月、「狭義の強制はなかった」と言って第1 次政権時に世界をあきれさせましたが、自民党総裁時の2012年11月にも、日本の歴史修正主義者が米国の地方紙に掲載した「『慰安婦』を強制連行したのは業者」と主張する意見広告に、賛同者として名を連ねています。
政府としても、第1 次安倍政権で河野談話否定の布石を打っていました。2007年3月、国際的に非難を受けた直後の辻元清美衆議院議員の質問主意書に対して、以下の答弁書を閣議決定しました。橋下大阪市長が繰り返し否定の根拠として利用しているもので、今も混乱の元になっています。
同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。
内閣衆質166第110号(2007.3.16)より
「同日の調査結果発表まで」というのは、「1993年8月4日までに」ということです。「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して」という河野談話の文言が「いわゆる強制連行」とあいまいな記述になっています。安倍首相は強制連行の定義について、2007年に安倍首相が「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行く」ことと国会で答弁しました。この閣議決定の「いわゆる強制連行」が、「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集めたこと」と同じ定義なのか、本来はこれもただす必要があるでしょう。
河野談話のどの文言がどの証拠に基づいているかは、一つ一つわかっているわけではありません。しかし、2014年2 月20日、河野談話発表当時に内閣官房副長官だった石原信雄氏が衆議院予算委員会に参考人として呼ばれ、河野談話の経緯について、以下のように「証言」しました。
当方の資料として直接、日本政府あるいは日本軍が強制的に募集するといったものを裏付ける資料はなかったわけですけれども、彼女たちの証言から、どうも募集業者の中にその種のものがあったことは否定できない、そしてその業者に官憲等がかかわったこともまた否定できないということで、河野談話のような表現におちついた。
衆議院予算委員会速記録(2014.2.20)より
安倍政権が最も否定したい「本人の意思に反して官憲が直接女性を集めた」という河野談話の事実認識は、「証言」を根拠にしているとの「証言」です(ただし、石原氏の証言内容については別途検証が必要)。当時の副官房長官がこのように語っているのであれば、本当じゃないか? そう思ってしまう方も多いかもしれません。しかし、当時も今も、公文書で「官憲が本人の意志に反して集めた」事実は確認できるのです。
最もよく知られているのは、戦後のBC級戦犯裁判のうちオランダが実施した「バタビア裁判」の記録です。1944年2月、インドネシアのジャワ島スマランで慰安所を設置するために、日本軍がアンバラワやハルマヘラの民間人抑留所から少女や女性たちを選別して連行しました。その際、強制ではなかったとするために、日本語で書かれた承諾書にサインまでさせています。この事件は、ジャン・ラフ=オハーンさん、エレン・ヴァン・デア・プルーフさん(本誌 p.7参照)の2 人の被害女性の証言によっても「裏付け」されています。
このスマラン事件は1992年に新聞紙上で大きく報道されており、また河野談話作成時に法務省から提出された資料に入っていたことが、赤嶺政憲衆議院議員の質問主意書で確認されています(2013.6.18付 衆質183第102号)。それでもなお、官憲による意思に反した連行を示す公文書はないという日本政府の主張には無理があります。考えうる官僚の逃げ答弁は、「日本軍や日本政府が出した文書には記録がない」ということですが、そもそも「強制的に連行せよ」という文書を日本軍が残すはずはなく、日誌にあったとしても敗戦前に真っ先に隠滅したでしょう。もしも安倍首相の強制連行の定義である官憲が家に押し入って連行することのみを指すとしたら、国際的にも笑いものです。
河野談話発表から21年経った今、「本人の意思に反して官憲が集めた」ことを裏付ける公文書の発見は続いています。
オランダ政府が戦犯裁判等の公文書を精査して正式な調査報告を発表したのは1994年です。また1993年8月以降に研究者が発見した「慰安婦」や日本軍の性暴力に関する記録は東京裁判、BC級戦犯裁判のほか、防衛図書館、英国や米国の国立公文書館等からも発見されています。日本の裁判所も、8 件の「慰安婦」裁判で事実認定をした判決を出しています。これらのすでに発見されている公文書を政府として受け止めるだけでも、十分に河野談話の「補強」ができるのです。
2014年3月7日には林博史関東学院大学教授が非常に貴重な新資料を発表しました。これは戦後の1962年に法務省のインタビューに答えた元戦犯の記録で、「慰安婦」連行の口封じのために、軍に70万円出させて工作をしたことが赤裸々に語られたものです。wamではこれらの公文書の写しを手に取って見られるよう、「1993年8月4日以降に発見された文書コーナー」を設置する準備を研究者や市民の協力を得ながら進めています。
安倍政権は公文書にこだわっているのだから、公文書の調査をこそすべきです。河野談話発表後に各省庁で発見した文書も報告するよう通達が1996年に出されていますが、実行されていない怠慢が続いています。「河野談話って、裏付けがないんだって?」という垂れ流し報道を信じる日本人が増えている状況、そして、政治家の歴史歪曲・否定発言によって被害者が傷つき続けている状況は、なんとしてもストップしなければなりません。
政府が検証すべきは、日韓の外交的すりあわせの検証ではなく、「慰安婦」制度という歴史の事実の検証です。それを今、世界が注視しています。