「責任者」の免責を許さない社会に
渡辺美奈(wam館長)
1994年2月、日本軍「慰安婦」として被害を受けた6人の韓国の女性たちが、告訴状を携えて来日しました。東京地検は受け取ることさえ拒否しましたが、その日の一連の行動を追った映像には、「責任者を処罰せよ」という絵を描いた姜徳景(カンドッキョン)さんだけでなく、金順徳(キムスンドク)さん、李英淑(イヨンスク)さん、文必琪(ムンピルギ)さん、朴頭理(パクトゥリ)さん、朴玉蓮(パクオンリョン)さん、それぞれの苛立ちや怒りの言葉や表情が記録されていて、その勢いに圧倒されました。責任者処罰を求めたこの行動に対して、日本社会は概して冷たく、支援者からも「子どもがいじめられる」「親が対象になる人も」と後ろ向きな発言があったといいます。その一方で、責任者処罰を自分の責任として捉え、「日本人をやめたいと言ってきたけど、その前にやることがある」と、報告集会で決意を語る人もいました。日本の侵略戦争や植民地支配の責任者を処罰するのは到底無理なこととして、夢想だにしなかった戦後日本の平和主義に、ハルモニたちは喝を入れたのでした。
姜徳景さんたちが求めたのは、自分たちを苦しめた一兵卒ではなく「責任者」を処罰することでした。日本軍性奴隷制というシステムを考案し、実施を命じた者は誰だったのか、このような人道に反する制度を継続させたのはどの顔だったのか、真実を明らかにすることを求めました。東京地検で責任者処罰を叫んだ文必琪さんは、2000年「女性国際戦犯法廷」で証言台にたった元兵士の金子安次さんと鈴木良雄さんのお二人を「あの人たちは元気かね」と、その後もずっと気にかけていたといいます。人を殺すことを命じられた兵士たちの手に染みついた暴力の記憶、その苦悩をも見てきてきたハルモニたちにとって、自分の手は汚さず、痛みも感じず、のうのうと戦後を過ごして家族に囲まれながら死んでいく、そんな責任者をこそ許すことはできなかったのでしょう。
責任者を免責する日本社会の体質は今も変わっていません。「上の者」の責任が問われることのないよう公文書の隠滅や偽造がなされ、そのような犯罪を指示した「上司」の責任は問われず、実際に犯罪行為をさせられた人が誠実であればあるほど命を奪われる―森友・加計学園の疑惑と公文書偽造の事件をみて、そう感じた人も多かったのではないでしょうか。
「女性国際戦犯法廷」から20年、wamは関係者の聞き取りやアーカイブズ整理の事業とともに、天皇の戦争責任を隠蔽し、忘却してきた日本「国民」を問う特別展を実施します。コロナに気を付けながら、ぜひ見に来てください。