不正義への怒りを言葉に
渡辺美奈(wam)
「日本人は常に、私たちが必死になって反対しているものを必死になって支援しており、私たちが必死になって守ろうとするものを必死になって蹂躙しております」。これは、金芝河の「1975年3月1日 日本民衆への提案」のなかの言葉です。この詩人の言葉が、50年近い年月を経た今も同じように響く、そのことを悔しく思います。
いわゆる「徴用工問題」と呼ばれているのは、日本による植民地支配(日帝強占)の下、朝鮮から日本に連れていかれ、過酷な労働を強いられながらも生き延び、戦後にその被害を語り、尊厳の回復を求めて何十年も闘ってきた生身の人たちのことです。「親日」や「慰安婦」と誤認される恐れから、国内で語ることが難しい時期もあったといいます。その人間の訴えを「必死になって蹂躙」しているのが日本政府です。2023年3月6日、日本政府との交渉の末に韓国政府が会見で発表した施策は、2015年のいわゆる日韓「合意」と1995年の「女性のためのアジア平和国民基金」を混ぜ合わせて毒を入れたようなものです。日本政府も被告企業も、この間に明らかになった人権侵害について事実も責任も認めていません。謝罪もしていません。被告企業すらお金をまったく払わず韓国企業に「肩代わり」させるとは、韓国司法の独立性をも愚弄しています。「未来志向」で創設する基金に被告企業がお金を出したとしても「国民基金」をまねた偽善にしか見えません。
「事実を認めて謝ってほしい、誠意を見せてほしい」、そう訴え続けた齢90を超える当事者の声に耳をふさぎ、日米韓の軍事同盟強化をすすめる国家権力にも、「これで日韓関係が改善」と嘯く報道にも、反吐がでそうです。
頽落する音が聞こえるような日本社会。昨年12月、敵の基地を先に攻撃ができることを盛り込んだ安保3文書は、議事録が公表されない自公の密室協議をもって閣議決定されました。それに先立ち、日本は軍事費増額を米国と約束、5年で43兆円という途方もない税金を使って、いつでも戦争を仕掛けられる国になろうとしています。地上戦の悲惨さを骨身で知る沖縄・南西諸島に自衛隊配備が急ピッチで進み、攻撃の最初のターゲットにされる住民の恐怖と抗議の声に日本政府は耳を貸しません。さらに、3.11と福島原発事故からちょうど12年の節目に原発回帰が打ち出されました。二度と同じ過ちを繰り返さない、そのために原発はすべて廃炉にし、持続可能な自然・代替エネルギーで生きたい、それは日本に住むすべての人の思いのはずが、「しょうがない」という空気に押しつぶされそうになっています。
松井やよりさんの遺著の書名は『愛と怒り、闘う勇気』でした。民意を反映しない小選挙区制のもと「悔しければ選挙で勝ってみろ」と選挙のみが民主主義の手段と思わされがちですが、国会が機能しないなか、怒りの表明と行動は不可欠です。まずは怒りの感情を自分の言葉にして伝えていきたい。理解し、共感してくれる人たちばかりではありませんが、沈黙は共犯です。
金芝河は同じ文書で、「韓日両国民衆の、真の共同闘争こそ、私たちとあなたたちとを同時に救い、同時に人間化する唯一の活路であります」と書いています。戦争と暴力による支配のない、人間の命と尊厳が最も大事にされるアジアをつくるための民衆の共同闘争、その構想は、耐えられない不正義への怒りから生まれるはずです。