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戦時性暴力、「慰安婦」問題の被害と加害を伝える日本初の資料館

宋神道さん、李容洙さんを迎えて院内集会

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金学順さんが名乗り出て20年
今年こそ日本軍「慰安婦」問題の解決を!
宋神道さん、李容洙さんを迎えて
日時:7月21日(木)11:00~13:30
場所:参議院議員会館 101会議室
東京都千代田区永田町1-7-1
   東京メトロ 丸ノ内線/千代田線 国会議事堂前駅
有楽町線/半蔵門線/南北線 永田町駅
主催:戦時性暴力問題連絡協議会 (問い合わせ)03-3686-1954
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1991年8月14日、韓国で初めて日本軍「慰安婦」被害者が名乗り出ました。金学順さんです。その勇気は、韓国だけでなくフィリピン、オランダ、台湾、中国へと伝播し、歴史の闇に隠されていた「真実」を暴き出しました。
あれから20年。名乗り出た被害者たちは、日本政府の謝罪と賠償を勝ち取るため必死のたたかいを繰り広げてきましたが、残念ながら日本政府は未だ責任を果たしていません。そして、92年1月に始まった水曜デモは、今年12月に1000回を迎えようとしています。
これほどの長きにわたって続けられてきた水曜デモが、1度だけ、無言の追悼行事に替えられたことがありました。それは、3月11日の東日本大震災直後の3月16日、第961回デモのことでした。被害女性たちの提案で、犠牲者を追悼するサイレント・デモが日本大使館前でおこなわれ、被害女性たち自らの募金をきっかけに、被災者救援募金が開始されました。フィリピンでも、被害女性たちによる犠牲者追悼キャンドル行動が催され、日本を励ます書簡と花束がマニラの日本大使館職員に手渡されました。
「人として」痛みを共有する姿勢を示した日本軍「慰安婦」被害者たちに、今度は日本が真摯な姿勢を示す番です。過去の問題をうやむやにしたままでは、未来はありません。20年間、たたかい続けてきた被害者お二人が、解決への時間が少なくなっていることを、自ら訴えてくださいます。ぜひとも国会に足をお運びください。
プログラム
■1部■
『終わらない戦争』上映(11:05~12:05)
『終わらない戦争』(2008年、60分)
 『送還』でサンダンス映画祭表現の自由賞を受賞し日本でもお馴染みとなったキム・ドンウォン監督が、世界各地の日本軍「慰安婦」の苦しみと訴えを丁寧に追ったドキュメンタリー。日本軍「慰安婦」問題の「今」を探り、解決策を模索する上で好適な作品。
■2部■
宋神道さん、李容洙さんのお話など(12:20~13:30)
宋神道さん(88歳)
 東日本大震災で被災。現在は東京在住。16歳の時に騙されて中国武昌の慰安所に連れて行かれ、その後、岳州を拠点に長安、応山、蒲圻など中国中部を転々とさせられた。咸寧で日本の敗戦を知ったが、朝鮮には帰れず、日本軍人に誘われて日本へ。しかし、軍人は博多港に着くと態度を豹変させた。軍人に突き放された宋さんは、在日朝鮮人男性に救われて宮城県女川町で暮らしてきた。
 7年間の戦場を生き抜き、大津波にも生き延びた宋さんが、被災後初めて、国会で日本軍「慰安婦」問題の解決を訴えます。
李容洙さん(82歳)
 15歳の時、大邱の自宅から連れ出され、汽車で大邱、慶州、平壌を経て大連へ。大連から日本軍人200~300人が乗った船に乗せられ台湾新竹の特攻部隊慰安所に連れて行かれた。45年春、米軍の爆撃で慰安所は潰れ、46年春、釜山港に帰り着いた。
 ソウルの日本大使館前でおこなわれた東日本大震災被災者追悼サイレント・デモにも、大邱から駆けつけました。今度は、被災者を直接励ましたいと、仙台を訪れるための来日です。震災後、心配でたまらなかった宋神道さんとの再会も、心待ちにしています。
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