梁錦徳さんをお迎えして
渡辺美奈(wam館長)
2019 年6 月26 日の午後、女子勤労挺身隊として過酷な労働を強いられた梁錦徳さんと光州の支援者のみなさんがwam に来館してくれました。
利発だった梁錦徳さんは、国民学校6 年生だった1944年5 月、「女学校にも行ける」との先生の言葉を信じて名古屋へ。連れていかれた三菱重工道徳工場では、航空部品をつくる危険な仕事をさせられ、食事は劣悪、朝鮮人として差別もされました。12 月の東南海地震では瓦礫に埋もれながらも生き延び、日本の敗戦で帰国。しかし「日本で働いてきた」とわかると「慰安婦」と間違えられるため、その体験をずっと隠してきたと言います。「朝鮮人は人じゃなかった、動物と同じ」と語る梁錦徳さん。「『慰安婦』との比較ではなく、勤労挺身隊として受けた被害そのものの過酷さを知ってもらいたい」と語った支援者の言葉が突き刺さります。
梁錦徳さんは1993 年、国を訴えた「関釜裁判」の原告となりました。山口地裁下関支部は1998 年、立法不作為に対する慰謝料30 万円を「慰安婦」にされた原告3 人に認める判決を出しますが、同じその判決で、挺身隊の原告7人は棄却されました(2003 年にいずれも最高裁で棄却)。
1999 年、梁錦徳さんは三菱重工を被告に名古屋でも提訴しますが、2008 年にはこれも最高裁で棄却。さらに2012 年に韓国・光州で三菱重工を提訴し、2018 年11月29 日の大法院判決で勝訴が確定しました。
「おかげでずいぶん苦労しました」と流暢な日本語で語る梁錦徳さんは89 歳。粘り強く闘い続ける梁さんのエネルギーや人間的な魅力があったからこそ、光州や名古屋をはじめとした市民の闘いがここまで力強く継続してきたのでしょう。
翌6 月27 日、梁錦徳さんは、三菱重工本社前で株主たち向かってアピールしていました。「話し合いで解決しましょう」という横断幕を掲げる支援者たちのまわりを、「朝鮮人はうそつきだ」とがなりたてる右翼たち。植民地支配責任を果たすために日本社会を変えること、それは私たちにとっても人間の尊厳をかけた闘いであると改めて思います。