「慰安婦」の声を聞く、ということ
渡辺美奈(wam館長)
2015年12月、wam設立10周年のイベントで「日本軍『慰安婦』アーカイブズ」に取り組むと宣言してから、はや6年が経とうとしています。この年の末にはいわゆる日韓「合意」もあり、その後も様々な活動や企画に追われました。腰を落ち着けて資料にあたるため、週1日をアーカイブズ作業の日にしたのが昨年9月。まだ本格的に軸足を移したとはいえませんが、毎日の業務のなかで「記録」を意識するようになってきました。
「『慰安婦』の声」は、2016年5月に被害国と日本の8ヵ国の民間団体が、ユネスコ「世界の記憶」に日本軍「慰安婦」関連記録を登録申請した際のタイトルです。歴史から抹殺されてきた軍隊による性暴力は、被害を受けた女性たちが語り出したことによって歴史に刻まれてきました。その声は、確かに「世界の記憶」として引き継がれていくべきものです。しかし、日本政府はユネスコへの分担金を留保してこの登録を妨害、歴史修正主義者は民間団体として対抗する記録を申請しました。結果はいまだペンディングのままですが、「慰安婦」関連記録を申請した二者による「対話」のためのプロセスは今も進行中です。
ユネスコへの登録がどうなろうとも、日本軍による性暴力を「なかったことにはさせない」と語った女性たちの「声」は、未来につないでいかなければなりません。今のようにデジタル技術が手軽ではなかった1990年代、証言の録音も映像も磁気テープを使っていたことが多く、破棄されずに残っていたら奇跡的であることもわかってきました。日本軍は侵略したほぼすべての地域に慰安所を設置したので、被害を受けた女性たちの言葉も国籍も様々です。しかし、少なくとも被害女性たちが日本の人たちに語った証言、訴えた思いは、できうる限り「声」として遺したいと、各地の支援団体に協力依頼を始めています。
アーカイブズ作業の一環として、金学順さんの来日や講演などの記録を調査してみて感じたことが2つあります。1つは、各地域の支援運動の底力です。東京中心の運動とは異なる、ちょっと濃いめな人間関係、そのつながりや交流をつうじて築かれた信頼関係。金学順さんも、本当に信頼できる人は誰かを見極めていたように感じます。もう1つは、被害を受けた女性たちの意思の表明やつぶやいた言葉が、いかに大事な記録かということです。日本政府や日本の人たちに伝えたいこと、自分が求める被害回復のかたち。その「声」に耳を研ぎ澄まして聞き取ろうとしていたかどうかは、運動記録のありようからも読み取れるように思います。
さて、岸田首相は就任にあたって「聞く力」を強調しました。安倍前首相は「寄り添う」という言葉を多用しましたが、「聞く」とか「寄り添う」という言葉の意味まで収奪されたくありません。日本の首相は、これまで誰一人、日本軍の「慰安婦」として被害を受けた女性たちと公式に面会し、その声を聞いてきませんでしたが、国会前での叫び声は聞こえていたはずです。日本軍「慰安婦」の声を「聞く」ことの意味を取り戻していかなければと思います。