暴力による支配を許さない
渡辺美奈
世界中が重苦しい空気に覆われています。東欧で起きている戦争は、香港やミャンマーでの弾圧と暴力、あるいは70年にわたって日常的に行われてきたイスラエル軍によるパレスチナ民衆の殺戮と比較にならない強度のニュースとなって、日常を支配しています。マスコミ報道や欧米偏重のメディアに対する疑念は徐々に認識されてきているものの、ネット上にあふれる情報のどれが正確なのか、自分の先入観を差し引いて冷静に判断するのは簡単なことではありません。そんななか、ケニアのキマニ国連大使がロシア軍のウクライナ侵攻の直前に国連安保理緊急会合で行った演説は、民族と国境を考えるうえで示唆に富むものでした。
「ほとんどのアフリカの国々は、帝国の終焉によって誕生しました。国境は、私たち自身で引いたものではありません。ロンドン、パリ、リスボンといった遠い植民地の本国で引かれたものです…もし私たちが民族、人種、宗教の同質性に基づく国家を追求していたら、何十年後も血生臭い戦争を続けていたことでしょう。代わりに、私たちは既に受け継いでしまった国境を受け入れたのです。危険なノスタルジアで歴史に囚われた国を作るのではなく…。」
そう語ったキマニ大使は、多国間主義の重要性を強調し、いかなる理由であれ、民族統一主義や拡張主義を拒むと宣言しました。そして、安保理理事国を含む強大な国家が国際法を軽視するここ数10年の傾向を非難することも忘れませんでした。帝国によって撒かれた紛争の火種と、グローバル資本主義がもたらす格差や気候変動に苦しんでいるアフリカだからこその理性を感じました。その一方で、暴力が国境を越えるかどうかでこれほどまで対応が違う国際法と、西欧近代が生み出した領土と「国民」に基づく国民国家の限界や弊害を思います。
世界には資源がある場所もない場所も、農地が豊かな土地もそうでない土地もあります。だからこそ助け合うこと、分け合うこと、それぞれの得意分野を活かして交換すること、文化的な交流をつうじて理解し合うこと―「宇宙船地球号」という言葉がありましたが、平和のうちに築かれる持続可能な未来をつくるためになすべきリストはいくつも作られてきました。しかし、他国より少しでも「強い国家」であってほしいという「国民」の願望はいまだ根強くあります。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という前文を持つ平和憲法を変え、ここぞとばかり再軍備化をもくろむ政治家が与野党問わずにいますが、それは、沖縄や原発立地地域を危険にさらし、差別をさらに強化することとイコールです。暴力による支配の根を断つための地道な活動や発言が、今こそ重要です。日常のなかにある差別を見逃してはいないか、力による解決を許していないか、小さな声を抑圧していないか。自分から変わること、身の回りから変えることで、暴力のない平和な世界をつくる歩みを広げていきたい。2005年8月の開館から年3回発行してきた『wamだより』も50号の節目を迎えました。これからも発信し続けます。