死してなお、歴史の改ざんをさせないために
渡辺美奈
元首相が殺されました。殺されたのが安倍晋三で、それが元海上自衛隊員による銃殺で、参議院選挙の遊説中だったために、テロだとか民主主義への挑戦だと報じられました。しかし蓋を開けてみたら、旧統一教会から被害を受けた「宗教2世」の犯行で、政治的なテロではなく怨恨でした。しかし自民党と宗教カルト、反共組織の癒着という「パンドラの箱」を開けることにつながり、実態をどこまで白日のもとに晒せるのか、まさに日本の民主主義が問われています。
それにしても、「国葬」という愚策が出されたのには驚きました。どんな政治家でも、死んだら過去の悪行をすっかり忘れて褒め称えるのは、天皇の戦争責任を問い続けなかった日本の悪い「伝統」のようです。反原発を闘ってきた工学者の小出裕章が、安倍晋三は「息をするかのように嘘をついた」と表現しましたが、それは「慰安婦」問題にも当てはまります。
安倍晋三は1993年の衆議院選挙で初当選、その存在に気がついたのは1997年、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の事務局長として「慰安婦」にかかわる歴史否定の急先鋒に躍り出てからでした。2000年の女性国際戦犯法廷をつぶさに追うはずだったNHKのETV特集に事前介入し、翌年1月に放送された番組は無惨に改変されました。2006年には首相に就任、日本軍の「慰安婦」として被害を受けた女性たちはまだ元気に来日していたのに、その声を一度も聞くことはなく、2007年3月に「軍による強制連行はなかった」と嘘をはき、その嘘を正当化するための閣議決定まで出しました。しかし、首相による歴史否定は国際的に大きな批判を招き、4月に訪米した安倍晋三は米大統領のジョージ・W・ブッシュに謝罪するという見当違いの媚びへつらいを披露。同年、体調不良で首相を辞任するも、「慰安婦」問題については熱心に否定し続け、米紙スターレッジャーに掲載された歴史歪曲広告には自民党総裁だった安倍晋三も名を連らねました。
2012年に政権に返り咲くと、日本軍性奴隷制という犯罪をなかったことにするため、まさに心血を注ぎました。「河野談話」を骨抜きにし、朝日新聞へは常軌を逸した攻撃をしながら、日本軍の犯罪であり恥部である歴史をもみ消す企みは日本の軍事化とセットで進みました。2014年には武器輸出三原則を「防衛装備移転」と言い換えて換骨奪胎、7月には勝手に閣議で憲法解釈を変更し、集団的自衛権を容認しました。
そして2015年。8月には誰も二度と読み返さないような歴代最低の戦後70年談話を発表し、9月には「平和」を冠した戦争法制を強行採決し、12月には日韓両外相に、被害者不在で文書さえ存在しない最終的・不可逆的な「合意」を結ばせました。後に、国会で「慰安婦」被害者への謝罪の手紙について問われると、安倍晋三は極めて冷酷に「毛頭考えていない」と言い放ちました。
安倍晋三は強いものにおもねり、弱いものを無視し、都合の悪いことは改ざんさせ、嘘をはき続けました。この負のレガシーは受け継がれ、閣僚や官僚は国内外で臆面もなく歴史や人権を無視する発言を繰り返し、好き勝手になされる閣議決定(今回の「国葬」もしかり)が影響を与え続けています。死してなお歴史が改ざんされる事態を許さないために、安倍政治のもとで何が行われたのか、私たちの手で一つ一つ記録せねばと思います。(敬称略)