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戦時性暴力、「慰安婦」問題の被害と加害を伝える日本初の資料館

「wamだより」VOL.55(2023.11)

  • 人間の恥としての
  • 報告 日本軍「慰安婦」メモリアル・デー
    追悼のつどい 亡くなられた被害者に思いを馳せて
    wam de cafeシリーズ 松井やよりを語る(3)松井やよりと沖縄(高里鈴代)
  • 報告 wam de cafeシリーズ
    松井やよりを語る(4)フィリピン、JFCと松井やより(伊藤里枝子)
  • 報告 wamセミナー 天皇制を考える(12)日本の近現代史からみる 天皇制と勲章(栗原俊雄)
  • 特別寄稿 韓国大法院判決から5年 「徴用工」問題のこれまでとこれから(矢野秀喜)
  • wamパネル巡回
  • 連載 Next Step(6)加害国の人間が表現するということ(中村友紀)
  • 連載 ちゅい たれい だれい(2)『沖縄・米兵による女性への性犯罪 第13版』の作成(宮城晴美)
  • 連載 ベルリンからの風 Vol.31  誰が記憶を呼び起こせばよいのか 移民社会の「想起する文化」(梶村道子)
  • 連載 扉をひらく(15)被害女性たちの思いを受け止めて 私たちが語り部に(浅井桐子)
  • イベントカレンダー
  • wamデータ
  • 韓国の日本軍「慰安婦」支援団体・ミュージアムとの交流
【巻頭ページ】

人間の恥としての

渡辺美奈(wam)

「どうかこれ以上の殺戮をしないで」と祈った記憶がよみがえってきました。一縷の望みを抱いて出されたたくさんの声明、呼びかけ。それでも、米国のブッシュ大統領は、9.11同時多発テロ事件への報復として、2001年10月7日にアフガニスタンへの空爆を始めました。それから22年後の同じ日に、ハマースはイスラエルに対し、テロと呼ばれる「報復」をしました。「報復」という言葉をあえて使うのは、2023年10月7日を起点にしてはならないと強く思うからです。1948年のナクバ以降のイスラエルによる占領、支配と入植、そのなかでの凄まじい暴力と殺害をまったく知らなかったわけではありません。

10月23日に学生有志が早稲田大学で開いた緊急集会の題名は「ガザ、人間の恥としての」でした。熱を込めて語った岡真理さんは、ホロコーストを生き延びたプリーモ・レヴィの「人間であることが恥ずかしい」、そしてアパルトヘイトを闘ったネルソン・マンデラの「パレスチナ人が解放されない限り、私たちの自由が不完全であることを知っている」という言葉を紹介していました。「じぶんごととして考えよう」という呼びかけを聞くことがありますが、これは、もし自分だったら、もし自分のおばあさんや娘だったらと、近しい関係を想像して考えることを求めているものではないはずです。1970年代にオーストラリアのアボリジニの女性たちから発せられ、フェミニストのなかで広く使われるようになった言葉に、「あなたが私を助けるためにおいでになったのなら、それは時間の無駄です、あなたにとっても、私にとっても。あなたの解放が、私の解放とつながるものだからおいでになったのなら、それなら手と手を合わせて働き始めましょう」という呼びかけがあります。レヴィの「人間であることが恥ずかしい」という言葉には、人間としてとても耐えることができない残虐行為を人間がすることを、ゆるしてきた無関心にも向けられていたのではないでしょうか。

英国がパレスチナを委任統治領にしたのとちょうど同じころ、1923年9月に起きた関東大震災では、多数の朝鮮人、中国人が虐殺されました。正確な数は隠蔽されてしまったとはいえ、1週間あまりで数千人が大日本帝国の官憲と民衆によって虐殺された日本と、1ヵ月で1万人以上がイスラエル軍によって殺戮されたガザ。人を殺し続けて「正気」でいられる狂気、そうしてしまったがゆえの恐怖を麻痺させるシステムに思い至ります。

関東大震災での朝鮮人虐殺を問われて、日本政府は100年経っても「資料がない」と言い放ちました。植民地主義を克服する気もないこの国では、私自身の解放もないでしょう。普遍を語っていた「権威」のメッキが剥がれたいま、一人一人がやるべきことはたくさんあります。