終わらない責任
渡辺美奈(wam)
日本軍「慰安婦」問題は、何をもって「解決された」と言えるんですか? 解決に向けてあなたは何をしているんですか? そんな質問を受けることがあります。
「解決」という言葉をなぜ使うのか、と真顔で質問してきたのは、2013年8月、第1回目の日本軍「慰安婦」メモリアル・デーのゲストとして招いたアンワルル・チャウドリーさんでした。2000年に国連安保理で初めて「女性・平和・安全保障」に関する決議第1325号を採択するために尽力した元安保理議長ですが、日本軍性奴隷制のもとで深刻な性暴力被害を受けた女性たちを支援するときに、「解決」を求めるのは違和感があるというのです。
「解決」という言葉を『広辞苑』(第3版)で引くと、「問題やもつれた事件などをうまく処理すること。また、事件が片づくこと」とあります。解決する主語は誰なのか、処理され、片づくとはどういうことなのか、たしかに疑問が湧いてきます。日韓の外相が被害者不在のまま「最終的かつ不可逆的な解決」を確認したのが、2015年のいわゆる日韓「慰安婦」合意でした。
「もう終わりにしたい」という欲求、「いつまでやっているんだ」という苛立ち。「(日本人は)きれいな国民でいたいわけよ」と的を射た言葉を残したのは、「ナヌムの家」に住んだ金順徳ハルモニでした。仮に日本政府が事実の認知、公式謝罪、真相究明、賠償、責任者処罰、教育などをしていたとしても、それは加害国として当然の義務であり、終わったことにはならない、それはドイツの経験からも明らかです。植民地支配と侵略戦争のもとでの取り返しのつかない被害を対して「終わらない責任」を引き受ける、そこにこそ未来をひらく希望があるのではないでしょうか。
昨年、都内のある大学で講義をする機会があり、授業前にアンケートを取らせてもらいました。日本軍「慰安婦」を知っているか、という基本的な質問とともに、「慰安婦」問題は「解決」しているか、また「解決した状態」とはどのようなものかを尋ねてみました。すると、回答をくれた学生のうち、「解決している」はゼロ、「未解決」が15、「わからない」が13。そして、「解決した状態」については、「いくら正式な賠償があったとしても、一度受けた傷は一生消えない」、「私たち第三者が…解決したか否かについては勝手に言ってはいけないと思う」、「解決というゴールではないのかもしれない…よりよい状態を目指すなら、過去起こってしまった性暴力に対しての社会の批判的な態度を継続して持ち続けることだと思う」と、「慰安婦」問題にとっての「解決」とは何かを、自分の言葉で真剣に考えたことがうかがわれる記述が含まれていました。
ゴールを想定しないとしても、スタート地点にさえ立っていない状況を変える必要はあります。その第一歩は、日本軍性奴隷制のもとで受けた女性たちの被害を日本政府がありのままに認めること――それこそが被害者が何よりも求めてきた「謝罪」の中身でもあります。戦争と戦後を生き抜いて語った女性たち、そして生き抜くことができなかった女性たちの存在も想起しながら、日本の政府と社会が「終わらない責任」に向き合うことが可能となるように、記録を残し、記憶をつなぐ作業に力を注ぎます。