民衆の知恵、言葉のちから
渡辺美奈(wam)
「台湾の公用語を英語にすることに賛成だ」。そう台湾大学の友人が語るのをびっくりして聞いたのは最近のことです。台湾にはいくつもの原住民の言語があるし、中国各地から渡ってきた人のどの中国語を選ぶのかは簡単ではない。若い人たちは幸い英語に抵抗がないし、中国からの影響を減じるには英語を公用語にするのが有効だ―大まかにはこんな理由でしたが、この議論は実際に浮上しているといいます。
歴史と政治が絡み合う台湾の複雑さにたじろいだことは何度もあります。日本軍「慰安婦」問題の取り組みでいえば、国民党で親中派の馬英九が総統(在任期間2008-2016年)だった時期のこと。馬英九は「慰安婦」にされた阿嬤(「おばあさん」の意)たちへの思いが強かったらしく、病床の阿嬤を見舞ったり、2012年に台湾で開かれた「日本軍『慰安婦』問題解決アジア連帯会議」には、現職の総統として挨拶に来てくれました。2015年12月の日韓外相による「慰安婦合意」の直後にも、「それなら台湾にも」と総統として発言しています(官房長官だった菅義偉が言下に否定)。一方、台湾の民主化運動を担った人たちに民進党支持者は多く、馬英九が「慰安婦」を支援しているのが気に入らない、中国と歩調を合わせているだけ、と冷ややかな態度にも接しました。「阿嬤の家-平和と女性人権館」(2016年開館)の準備に奔走していた台北市婦女救援基金会は、人権を大事にするからこそ慎重な対応を迫られていたように記憶しています。
今年10月、パリのユネスコ本部訪問の際には、これまでは許容範囲だったはずの「Chinese Taipei」という表記でさえ中国当局は許さず、中国と台湾の問題はさらに深刻になっていると感じました(8頁参照)。国連決議によって中華民国が国連脱退を余儀なくされたのは1971年。日本は1972年に日中共同声明を発表し日華平和条約を一方的に終了しました。中華人民共和国との国交回復を重視した田中角栄の仕事を日本社会が肯定的に受け止めたのは、侵略戦争への贖罪意識や経済的な思惑だけでなく、中華人民共和国の発展の中に平等な未来像を描いていたこともあるでしょう。その後、独裁体制下で数々の苦難を経験した台湾では1987年に民主化が始まり、文化大革命を経た中国では1989年に天安門事件がありました。
台湾の阿嬤たちにも馬総統を好きな人と嫌いな人がいましたが、中国が領有権を主張する台湾には、独立を主張する人もいれば、中国とはうまくやっていくべきだと思っている人たちもいる、それは選挙の結果からも見てとれます。中国による香港弾圧を目の当たりにして、非常に難しい政治外交的なかけひきを余儀なくされている台湾の人々の深慮を前に、台湾海峡、さらには沖縄や奄美の島々に緊張を煽った今般の高市早苗首相の発言は、あまりに稚拙なものに見えます。
2000年の女性国際戦犯法廷では、台湾と中国がそれぞれ検事団をたちあげ、南北朝鮮は合同検事団を組みました。国家の常識や思惑にからめとられず、国境にも阻まれない、人と人のつながりを大事にする民衆の知恵と工夫、言葉のちからが今こそ試されています。