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戦時性暴力、「慰安婦」問題の被害と加害を伝える日本初の資料館

第14回特別展スタートしました!

地獄の戦場・ビルマの日本軍慰安所~文玉珠さんの足跡をたどって~

2016年7月6日~2017年6月末日

1942年2月にビルマを侵略した日本軍は瞬く間に全土を掌握しますが、兵力でも物資でも日本軍を圧倒していた連合軍の反撃にあって大敗、敗退を続けることになりました。多くの兵士が飢餓と傷病に苦しんで命を落とし、ビルマ戦線は“地獄の戦場”と呼ばれたほどでした。
ところがそのように凄惨な戦場にも、日本軍は随所に慰安所をつくりました。「慰安婦」にされたのは、朝鮮、中国、台湾、日本、そしてビルマの女性たちです。彼女たちは性行為を強制されながら空襲に遭い、部隊とともに逃げまどい、戦闘に巻き込まれました。
文玉珠さんはこのような“地獄の戦場”を部隊と共に移動し、奇跡的に生き延びた朝鮮人「慰安婦」のひとりでした。文さんの驚異的な生命力と意思の強さには目を見張るばかりですが、彼女の足跡から浮かび上がってくるのは、ビルマの無謀な戦場の実態と、残酷な人生を強いられた女性たちの姿です。
展示内容
第1展示室
「慰安婦」問題・基本のキ
・日本軍「慰安婦」制度の目的、徴集、設置、運営、戦犯裁判
・「慰安婦」被害の実態と女性たちの戦後、元兵士の証言
第2展示室
ビルマの戦場と「慰安婦」
・日本軍の侵略と慰安所マップ、被害証言、元兵士の手記、公文書
・文玉珠さんの証言と足跡
・日本軍の慰安所と被害者証言
・戦後ビルマの女性たちと日本政府
「慰安婦」問題の世界の動き
・日韓両政府による「合意」~何が問題??
・日本政府と被害国の対応
【国名について】ビルマの軍事政権は1989年から国名を「ミャンマー」に変えました。これには政治的な背景や語源に関する議論が指摘されていますが、日本では戦前・戦中から「ビルマ」が定着しているため、wamは「ビルマ」を使っています。