日本軍「慰安婦」メモリアルデー:韓国の金学順さんが日本軍「慰安婦」制度の被害者として名乗り出た8 月 14 日のこと。今年は名乗り出から30年。韓国では政府が公的に定める記念日で、各国・各地でイベントが開かれます。
日 時:2021年8月14日(土)11:00~13:00
参加費:1000円
参加申し込み:Zoomウェビナー(定員97名/予約制・先着順)のみ Googleフォーム
■1部■ 11:00~11:30
追悼のつどい 亡くなられた被害者に思いを馳せて
日本軍「慰安婦」メモリアルデーに、wamのエントランスで、この一年間に訃報が届いた被害女性たちにお花を捧げる「追悼のつどい」を始めてから、5 回目の夏を迎えます。今年も故人を知る人からのメッセージを紹介しながら、生き抜いた女性たちに思いを馳せ、偲ぶ時間を持ちます。
■2部■ 11:45~13:00
トーク・イベント 金学順さんの思いをつなぐ
金学順さんは、1991年8月14日に名乗り出たのち、同年12月6日には日本政府に謝罪と賠償を求める裁判の原告となりました。初来日の際に宿泊したのはwamと同じ敷地内にある「早稲田奉仕園」で、畳を見てぞっとしたといいます。金学順さんは、6年後の1997年12月16日に亡くなるまで、病気や体調の悪化と闘いながら、日本政府が事実を認めて謝罪することを求めて何度となく来日しました。
そんな金学順さんを近くで支えていたのが李熙子さんです。李熙子さんご自身も遺族で、軍人・軍属裁判や靖国神社合祀取り下げを求める「ノー!ハプサ(合祀)裁判」の原告として、日本による植民地支配とその責任を問い続けています。李熙子さんは、金学順さんの晩年には病院に付き添い、入院した際には泊まり込んで見守りました。いまも金学順さんの命日には、ソウル近郊の「望郷の丘」へのお墓参りを欠かしません。今年のメモリアル・デーは、韓国に住む李熙子さんとオンラインでつなぎ、金学順さんとの思い出をうかがいます。
協力:韓国植民地歴史博物館
プログラム
【プロフィール】李熙子(い・ひじゃ)
1943年、韓国・江華島生まれ。日本軍に徴用された父親とは生後13ヵ月で生き別れ、1989年から太平洋戦争犠牲者遺族会に参加して父の死亡記録、合祀記録に出会う。2001年、父の合祀取消しを求めて東京地方裁判所に提訴。同年に設立された太平洋戦争被害者補償推進協議会の代表として、日本や韓国で提起された朝鮮人の強制動員に関わる数多くの裁判を実質的に支えている。