声明
2015年12月28日、ソウルで行われた日韓外相会談において「慰安婦」問題を最終的に解決する合意に至ったと発表された。日韓両政府が合意した内容は、武力紛争下で甚大な性暴力被害を受けた女性たちに対する被害回復措置としては、国際的な基準から見ても甚だ不十分である。日本政府は、被害者不在のまま政治的妥結をつきつけ、苦渋の選択を被害者にせまること自体が暴力的であることを、「女性のためのアジア平和国民基金」の経緯を通じて学んでいないといわざるを得ない。
アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)は、日本軍「慰安婦」制度の歴史的事実を二度と同じ過ちを繰り返さないために次世代に伝え、女性に対する暴力のない平和な社会をつくるために活動してきたミュージアムである。一人でも多く存命のうちに、すべての被害者が受け入れられるような被害回復措置の在り方を、アジア太平洋各地の被害者および被害国の支援団体とともに議論し、具体的な提言としてまとめる作業にも関わってきた。高齢になった被害女性たちが早く安堵したいと思いながら、やむにやまれぬ気持ちで声をあげ続ける姿を見てきた者にとって、被害者が受け入れられる形で「解決」されることは、切実な願いだった。だからこそ、被害者不在のままに政治的に「妥結」した日韓両政府に対して怒りを禁じ得ない。
一方で、安全保障政策を最重要視する米国の圧力のもと、被害者の声を一言も聞いていないにもかかわらず、日韓両政府が「最終的かつ不可逆的に合意」するという愚かな約束をしたことで、韓国政府が日本政府に外交的な交渉をすることは、極めて難しい状況になった。被害を受けた女性たちが感じている大きな怒りと失望を、どうにか希望につなげたい。私たちは、日韓政府の政治的「妥結」を、被害者が受け入れ可能な「解決」につなげる道を、時間がかかっても丁寧に探っていきたいと思う。
以下は、今般の日韓両国の合意に基づき、日本政府が為すべき、そして現実的にこれから為し得る措置の提言である。なおこの提言は、被害者の意思を確認したものではないため、被害を受けた女性たちの要求はもっと厳しい可能性も、また妥結そのものを拒否する決断もあり得ることを付記しておく。
1、責任の認知
今回の合意において、日本軍の「慰安婦」にされた女性たちに対して、日本政府は「責任を痛感している」と、国家の責任を明確に認めたことは率直に評価する。遅きに失したとはいえ、これまで使っていた「道義的」「人道的」などという不用意な言葉を使わず、全面的に国の責任を認めたことは、今後の施策を進めるうえで重要な前提となる。一方で、公共放送をはじめとした報道各社が、今回の「責任」は「道義的責任を意味する」といった誤った解釈を報道しており、これでは政府の努力はまったく意味をなさない。
提言1:日本政府は、責任に「道義的」といった限定をつける報道に反駁し、それ以上でもそれ以下でもない「責任」を痛感していることを繰り返し表明しなければならない。
2、謝罪
安倍総理大臣が内閣総理大臣としてお詫びと反省の意を示したことは評価できる。しかし、安倍総理大臣のお詫びを岸田外相が「代弁」する形で発表され、安倍総理大臣が朴槿恵大統領に電話でお詫びを伝達するという形式は、被害者が求めていた公式謝罪としてはとうてい認められない。国家の人権侵害に対する謝罪のあり方として、欧米、例えば米国の日系人強制収容所の被害者への謝罪の形式等と比較しても、はなはだ不十分である。
提言2:内閣総理大臣のお詫びと反省は、安倍総理大臣から、口頭または文書等の形式で、被害者に直接伝達されなくてはならない。
3、事実の認知
今回の合意の最大の問題点は、「当時の軍の関与の下」という「河野談話」と同じ曖昧な表現にとどまったことである。日本軍「慰安婦」制度に関する事実を、曖昧さのない形で明確に認めることは、被害女性たちが求めてきた被害回復のために不可欠である。すでに公文書等によって十分に明らかにされているように、日本軍が設置した慰安所は、当時の軍が立案し、組織的に管理、運営した軍の後方施設だった。また、女性たちの意に反して連行し、強制的な状況のもとで性行為を強要した日本軍「慰安婦」制度は、女性たちの名誉と尊厳を傷つけただけでなく、女性の人権を侵害する甚大な犯罪的行為だった。
提言3:どのような行為に責任を痛感し、「お詫びと反省」をしているのかを明らかにするため、女性たちを意に反して連行した事実を認めた「河野談話」を踏襲する意志を明確に示すとともに、慰安所設置の主体が日本軍であった事実、およびこれらの行為が人権侵害であったことを認めなければならない。
4、韓国が設置する財団への拠出
韓国政府が設置する財団に日本政府が国庫から拠出するという構想は評価が分かれている。私たちは、韓国政府が設置することで、財団という形式をとりながらも「女性のためのアジア平和国民基金」とは一線を画したこと、また日本政府が「責任を痛感」したうえで、日本の国庫から拠出されるお金は、日本政府からの「謝罪の証」であると認められる可能性があると考えている。
提言4:韓国が設置する財団の事業を被害者が受け入れられるようにするためには、これらのお金が「謝罪(またはお詫び)の証」であることを、拠出の際に日本政府は明確に示さなければならない。また、「名誉と尊厳の回復、こころの傷の癒やし」を目的とする財団の運営は、被害者と支援団体の意見を十分に聞いたうえで実施しなければならない。被害者の傷を癒やす目的で実施する事業であることに鑑み、財団の実施する事業について、日本政府は被害者の意思に反する要求をしてはならない。10億円の税金を活かし、「解決」につなげることは、納税者に対する日本政府の義務である。
5、平和の碑、記憶の継承について
今回の政治的妥結で、最も被害者の心を逆なでしたのは、在韓国日本大使館前の「平和の碑」を撤去するよう求めた日本政府の態度である。被害者の心の傷を癒やしたいという日本政府の発言が真意であれば、本来、花を手向ける行為こそが求められている。「慰安婦」被害者を含む市民によって設置された「平和の碑」の撤去は、そもそも交渉内容に入れてはならず、「被害者の納得する措置」を求めてきた韓国政府は、撤去に向けた努力さえすべきではない。
提言5:在韓国日本大使館前の「平和の碑」や、米国等で設置される記念碑は、武力紛争下の性暴力根絶や、被害者の名誉と尊厳の回復を求めるグローバルな市民の行動の表れであることを、日韓両政府は認識しなければならない。そして、日本の負の歴史を次世代に引き継ぐ意思を示すために、日本政府はこれらの碑に反対する行為は控えなければならない。
6、真相究明と教育、否定への反駁
真相究明や、教育を通じた歴史の継承について、今回の合意事項ではまったく触れられなかった。しかし、自分たちと同じような被害が二度と誰にも起きないように、歴史の事実を教訓として伝えていくことは、被害者の名誉と尊厳の回復のために最も重要かつ不可欠な要素である。
提言6:日本政府は、政府保有資料の全面公開、国内外でのさらなる資料調査、国内外の被害者および関係者へのヒヤリングを含む真相究明、および義務教育課程の教科書への記述を含む学校及び一般での教育を奨励していかなくてはならない。また、歴史の事実や日本の責任を否定する公人の発言には、断固として反駁しなくてはならない。
7、国連等の国際社会に対する働きかけについて
「国連など国際社会でたがいに非難、批判することを控える」と両国が表明したことは、日韓両国が日本軍「慰安婦」問題を、グローバルな女性の人権課題だと認識していないことの表れである。韓国の被害者を含め、日本軍によって重大な人権侵害を受けた「慰安婦」被害者が被害回復を求めるのは当然の権利であり、日本政府が真摯な対応をしない限り、国際社会からの要求は継続することを認識すべきである。とりわけ、国連ユネスコ記憶遺産への日本軍「慰安婦」に関する記録の登録は、武力紛争下で軍隊から性暴力を受け、生き抜いた女性たちの生の記録として保護に値するものであり、重要な世界的遺産として、本来であれば日本政府が自ら推進すべき事業である。
提言7:日本政府は、国連人権機関の勧告を真摯に受け止め、女性の人権の確立、日本軍「慰安婦」制度の歴史の記憶化に向けた国際社会の取り組みを妨害してはならない。
今回の政治的「妥結」を、最終的な「解決」につなげられるかどうかは、日本政府のこれからの行動にかかっている。日本軍の「慰安婦」にされたために、戦後の70年をも過酷な人生を強いられた被害者たちが、最後のひとときを安堵し、心安らかに過ごせるよう、私たちはどのような努力も惜しまない。そして、この日韓政府の合意事項の行方を、固唾をのんで見守っているであろうアジア太平洋各地の被害者に対しても、同様の被害回復措置をとることを求める。
2015年12月31日
アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)
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