【展示期間】2009年7月4日(土)- 2010年6月27日(日) *1週間延長しました
おびただしい数の残虐な強かんがあった戦場。支給された「突撃一番」を手に、行列を作って順番待ちをした慰安所。私たちの父や祖父が体験した戦争は、性暴力を抜きに語ることができません。この20年間に集められた、被害女性たちの証言がそれを物語っています。しかし自らの加害に向き合う日本軍元兵士の証言はわずかしかありません。
彼らはどのように強かんや慰安所を語り、あるいは語らなかったのでしょうか。飢えと病気が蔓延した無残な戦場からの生還は、「被害者」としての記憶しか残さなかったのでしょうか。
自らの戦争責任・戦後責任を問わずにきた日本の戦後を、性暴力の加害を糸口に考えます。
●日本兵の戦時性暴力はどう語られ、記録されてきたか
●戦後の東京裁判とBC級戦犯裁判、1990年代からの各国被害者による損害賠償請求裁判、2000年の女性国際戦犯法廷
性暴力は戦争犯罪としてどう裁かれたか
●元兵士の手記や回想録、戦争文学などにみる慰安所や戦場強かん
●映画に描かれた日本兵と戦場の女性たち
●撫順戦犯管理所と中国帰還者連絡会(中帰連)の元兵士たち
彼らはどのように自らの加害に向き合うようになったのか
●加害を語る元兵士たち
中国、ビルマ、フィリピン、東ティモールなど
●被害を訴える各国の女性たち
南北コリア、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシア、オランダ、東ティモール、日本
●日本各地の平和資料館・戦争記念館
国公立ミュージアムへのアンケート調査と民間のミュージアムでの取り組みにみる戦争加害の展示
●兵士たちの手記・戦友会誌・アルバム・「突撃一番」