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戦時性暴力、「慰安婦」問題の被害と加害を伝える日本初の資料館

Q1.どういう女性が「慰安婦」にさせられたのですか?

日本軍の「慰安婦」にされた女性は、日本人だけではなく朝鮮人、台湾人、中国人、華僑(華人)、フィリピン人、インドネシア人、ベトナム人、マレー人、タイ人、ビルマ人、インド人、ユーラシアン(欧亜混血)、太平洋諸島の人々、オランダ人などでした。

このうち台湾人女性や朝鮮人女性は、日清戦争(1894-95年、日本対中国=当時は清)や日露戦争(1904-05年、日本対ロシア)を通じて日本が「領有」した植民地の女性であり、それ以外は日本による十五年戦争(1931-45年、日本の対中国戦争、1941年からはアメリカなど連合国と戦った)の期間に侵略・占領した、中国などアジア・太平洋諸島の占領地の女性でした。オランダ人女性は、当時オランダの植民地だったインドネシアに日本が侵攻し、日本軍がつくった民間抑留所に入れられたときに「慰安婦」にされました。つまり、日本人女性をはじめ、日本によって植民地にされたり占領されたアジア・太平洋諸島の広大な地域にまたがる女性が「慰安婦」にされたのです。

「慰安婦」にされた女性たちには、地域ごとに特徴がありました。日本人女性の場合は、公娼制度(※1)下の女性が海外の慰安所に行かされたケースが多いのですが、戦争末期には日本で唯一戦場となった沖縄で遊郭の日本人女性が「慰安婦」にされたケースもあります。一方、植民地の女性、とくに朝鮮人女性のなかでもっとも多いのは、未成年の少女が「工場で働ける」などとだまされ日本軍が駐屯しているアジア各地の慰安所に連れて行かれ長期間にわたって「慰安婦」をさせられたケースです。たとえば、中国のなかで「随一」の規模だった漢口慰安所を兵站司令部(※2)の慰安係長として管理・統制していた山田清吉は『武漢兵站』のなかで、「内地から来た妓はだいたい娼妓、芸妓、女給などの経歴のある20から27,8の妓が多かったのにくらべて、(朝鮮)半島から来たものは前歴もなく、年齢も18、9の若い妓が多かった」と回想しています。前歴とは遊郭にいたということです。慰安所設置の理由の一つは”兵力低下をまねく性病防止”(Q3参照)だったので、「前歴のない」=若くて性病経験のない女性が求められました。しかしそうした日本人女性を「慰安婦」にすることは支障があったので、その役割を植民地や占領地の女性に押しつけたのです。ここには性差別に加え、民族差別の論理が働いているといえます。

ここで見逃してはならないのは、「慰安婦」にされた朝鮮人女性の置かれた状況です。彼女たちのほとんどが連行当時未成年であり、農村の貧しい階層の出身者でした。日本の植民地政策により朝鮮農民の多くは土地や食糧を奪われ、生活は貧窮していきました。また日本と違って義務教育制がなかった朝鮮では、高額な授業料のため多くの朝鮮人は教育が受けれませんでした。とくに女性は男尊女卑思想もあいまって、学ぶ機会が閉ざされました。抵抗が許されない日本の統治下で、教育を受ける機会に恵まれず、生活難・就職難に直面した朝鮮人少女たちにとって、生きるための選択の余地は限られていました。日本軍の意をうけた周旋業者は、そうした彼女たちの貧しさや無知につけこみ「仕事がある」「金が儲かる」「働きながら学校に行ける」とだましたのです。このように、貧困を背景にした詐欺・甘言、それ以外では暴力的な連行や人身売買により「慰安婦」にされました(Q7参照)。ナチスドイツも日本軍と似たような性暴力制度をもっていましたが、母国から遠く離れた遠隔地にある戦場に植民地の女性を連れて行ったのは日本軍だけです。

占領地の女性は、地元で日本軍による拉致や暴力的連行によって監禁され性の相手をさせられたり、慰安所で「慰安婦」にされたケースが多かったといいます。それだけではなく、1937年12月に日本軍が起こした南京大虐殺のときに多くの中国人女性が日本軍将兵によって強かんされ殺害されました。「慰安婦」被害の背景には日本兵による無数の強かん・輪かんの性暴力被害者がいたことを忘れてはならないでしょう。中国やフィリピンでは抗日運動をした女性を”みせしめ”のため、強かんや「慰安婦」にした例もありました。

いずれにせよ各国の「慰安婦」にされた女性に共通するのは、貧しい階層出身であったことです。日本人「慰安婦」にしても、そもそも貧しい階層出身でした。したがって、「慰安婦」への「女性の選別は、民族・人種、貧富、ジェンダーによる差別が交差したもの」(女性国際戦犯法廷ハーグ最終判決、※3)とみることができます。

しかしながら女性の前歴や連行時に物理的な強制があったかどうかにかかわりなく、慰安所で待ち受けたのは日本軍の性奴隷生活でした。日本軍「慰安婦」制度でもっとも重要な点は、日本軍の考案により組織的かつ広範囲に慰安所を設け、人格をもった女性の性を日本軍の「戦争遂行の道具」「性奴隷」とした戦争犯罪であったことにあります。

(注)
※1 公娼制度:女性の売春―男性の買春を国家が公認する制度で、1958年に売春防止法施行で廃止されるまで続いた。指定された地域(遊郭。貸座敷とも呼ばれた)で売春業者の営業を認め、貧しさのため身売り(人身売買)をさせられ前借金にしばられた女性たちは遊郭に閉じ込められ売春を強いられた。その意味で、国家公認の性奴隷制度であった。
※2 兵站:作戦軍に軍需品を供給する軍の施設・機関。
※3 女性国際戦犯法廷ハーグ最終判決:法廷については、Q7参照。ハーグ判決とは、2001年12月にオランダ・ハーグで出された法廷の最終判決文。全訳はVAWW-NET ジャパン編『2000年女性国際戦犯法廷の全記録(2)』2002年、緑風出版に所収。