慰安所を設置した主体は日本軍です。その第一の理由は、日本兵が性病に感染して兵力が低下するのを防ぐことでした。1904~5年の日露戦争の時にもすでに、日本軍将兵に性病が広がり問題となっていました。日本軍は性病を予防するため、戦地・駐屯地の貸座敷などで軍医や憲兵が介入して性病検診を徹底するようになりました。戦域が大きく広がった日中戦争、アジア・太平洋戦争期には、軍が制度化し管理した慰安所が作られました。慰安所では軍医による「慰安婦」の性病検診を定期的に行い、コンドームや性病感染防止のぬり薬などの使用を徹底するために各地の派遣軍に軍需物資として輸送していました。
第二の理由は、占領地での日本兵による強かん事件への対策でした。1937年、日本軍は上海での激しい戦闘の後、南京に向かう侵攻の過程で、また南京大虐殺の前後に、虐殺・略奪・放火・強かんを繰り返しました。さらに、中国北部でも強かんなどが多発したため、日本軍は中国の住民の反日感情が激しくなったことにあわてて、強かんをなくして治安を回復することを目的として慰安所の設置を指示。こうして慰安所は各地に作られていきました。
第三の理由は、日本兵の戦意を高めるためです。休暇制度もなく長期間、戦地に釘付けにされた日本兵たちの精神は、次第にすさんでいきました。「どうせ死ぬんだ」という自暴自棄の思いは、占領地での地元女性への強かんにもつながりました。
そうした精神状態から上官への反抗などが起こり、軍の規律が乱れることを心配した軍は、ストレスのはけ口として慰安所を考えたのです。
第四の理由は、軍の機密を守るためです。軍は日本軍将兵が民間の性売買施設へ行くと、将兵に接した性売買女性を通して軍の情報がもれると恐れていました。そのため、軍には自らが管理・監督して目が行き届く軍管理の慰安所が必要でした。「慰安婦」が監禁されたり行動が制限されていたのは、「慰安婦」が逃げ出さないようにするためだけでなく、情報がもれないようにするためでもありました。
以上は日本軍が考えた慰安所設置の目的です。被害女性にとってみれば、強かんの場所が慰安所の外から内に変化しただけで、どちらも強かんであることには変わりありません。また、性病にかかっていなかった女性が慰安所で性病に感染した場合もあり、慰安所設置によって日本軍の「目的」が達せられたとはいいがたい状況でした。