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戦時性暴力、「慰安婦」問題の被害と加害を伝える日本初の資料館

Q2.慰安所設置の指揮・命令系統はどのようなものだったのですか?

日本軍慰安所が最初に設けられたのは、1932年はじめの上海です。このとき上海派遣軍の参謀副長と高級参謀が慰安所設置の指示を出し、参謀が実際の設置にあたりました。1937年からの日中戦争の際には、中支那方面軍が慰安所設置の指示を出し、その下にある上海派遣軍は参謀二課(補給などの後方担当)が案を作って南京での慰安所設置を進めます。華北にいた北支那方面軍では参謀長が慰安所設置を指示しました。このように陸軍の派遣軍司令部が直接、慰安所設置にあたっていました。

派遣軍の指揮下は、軍-師団-旅団-連隊-大隊―中隊という順になっていますが、それぞれの段階で、補給などの後方担当の参謀や副官、憲兵などが「慰安婦」の徴集や慰安所設置にあたっています。もちろん軍の頂点にいたのは大元帥であった天皇でした。

海軍の場合は、海軍省、各艦隊司令部、占領行政にあたった海軍民政部などが慰安所の設置運営に関わっています。

1938年の内務省資料を紹介しましょう。中国の華南にいた第21軍が「慰安婦」を集めるために参謀を東京に派遣しました。その参謀は陸軍省の課長とともに内務省警保局(現在で言えば警察庁)に出向いて女性集めを依頼しました。それを受けて警保局では、警保局長の名で府県知事に通牒を出して、県が業者を選定して女性を集めさせること、また業者に便宜を供与するように指示しています。参謀本部のスタッフも女性の輸送に関わることになっています。内務省から指示を受けた府県では、業者を選定し、集められた女性の身元を調査し身分証明書を出す必要がありましたが、そうした仕事は警察がおこないました。知事→県警察部長(現在の県警本部長)→各警察署長と指示が伝えられ、警察署の警察官が動いたことは間違いありません。

つまり中国への派遣軍、中央の陸軍省・参謀本部という陸軍の組織だけでなく、内務省警保局、府県知事・県警察部長・警察署というように日本政府の中央から地方機関までが「慰安婦」の徴集と送り出しを組織的におこなっていたのです。このときには台湾総督府にも同様の依頼をおこなっており、そこでも台湾総督府の地方組織・警察が組織的に動いたことはまちがいありません。これは日本や台湾の女性を「慰安婦」として連れて行った例ですが、このように日本軍慰安所制度の設置運営は日本軍の機構全体にとどまらず政府・地方行政全体が関わった、国家ぐるみの行為でした。

さらに付け加えれば、実は上海の日本軍慰安所に女性を日本から連れて行こうとした業者らが女性の国外移送誘拐罪で逮捕され、1937年3月に大審院(現在の最高裁判所)で有罪が確定していました。ところが内務省警保局は翌38年2月、つまり慰安所開設が本格化する時期に、女性の送り出しを「必要已むを得ざる」と認める通牒を出しました。つまり最高裁判所が犯罪であると認めた行為を放置するだけでなく、ここで紹介した1938年の資料のように政府自らが犯罪行為を手がけたのでした。だからその通牒には、業者が自発的にやっているかのように装い、政府や軍の関わりを秘密にするように指示していたのです。そういう点からも慰安所制度は日本の国家ぐるみの犯罪であったと言えるでしょう。

(注)
軍司令官や師団長を補佐し作戦計画や命令を作るのが参謀です。そのトップが参謀長、次に参謀副長、そして参謀たちです。参謀の中で最も重要な作戦を担当するものを高級参謀とも言います。