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戦時性暴力、「慰安婦」問題の被害と加害を伝える日本初の資料館

Q4.慰安所は誰が管理・経営していましたか?

そもそも「慰安婦」制度を考案・設置にのりだしたのは日本軍の高級参謀(Q2参照)ですが、その後の開設にも軍のエリートが関与しました。たとえば、中曽根康弘元首相は、回想録で戦時中に海軍の主計将校であったときに「(三千人の部隊のために)私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある」(『終わりなき海軍』)と述べています。戦後、産経新聞やフジテレビの社長となった鹿内信隆氏は、陸軍経理学校で慰安所の開設のし方を教わったと語っています(『いま明かす戦後秘史』上巻)。

それだけではなく、軍は慰安所の管理・経営にも深く関与しました。慰安所には、軍の関与の程度からみて次の三つのタイプがありました。(1)軍が直営する慰安所、(2)軍が管理統制して業者に経営させる軍人専用慰安所、(3)民間の売春宿を指定して一定期間使う軍指定の慰安所、です。ここで日本軍・日本政府の責任を考える上で、とくに問題になるのは(1)(2)なので、それぞれ見ていきましょう。

まず、(1)の軍直営慰安所ですが、これは軍がみずから女性を集め、慰安所を建設したり建物を接取して慰安所につくりかえ、慰安所を直接管理・運営したものです。上海派遣軍の兵站病院に勤務した麻生徹男軍医の回想によれば、1938年初め頃に上海の楊家宅にできた慰安所は軍直営でしたが、麻生軍医は約百名の「慰安婦」の性病検診をしました(麻生『上海より上海へ』)。これは、上級司令部の指令で女性が「慰安婦」と認められ一定の管理規則下におかれる場合です。一方、上級司令部の統制外で配下の軍人たちが拉致してきた女性を監禁して輪かんを繰り返すケースがありました。中国山西省の性暴力被害者の場合がこのケースにあたります。いずれにせよ(1)の場合は、日本軍みずからが管理・運営していたのですから、軍に責任があるのは明らかです。

次に、(2)の軍専用慰安所です。女性集めや日ごろの経営は業者にさせたため、いっけん軍には責任がないようにみえますが、そうではありません。軍は女性集めのため軍の証明書を出して便宜をはかり、軍用船などの「慰安婦」の輸送手段を提供しました。軍は慰安所経営をする業者を選定し、慰安所の建物や食糧などを業者に提供しました。また軍は慰安所規則をつくり、各部隊の利用日を指定したり利用料金を決定しました。「慰安婦」の性病検査をおこなったのは軍医でした。さらに軍は業者の慰安所経営・管理を監督し、詳しい報告書を提出させました。慰安所を憲兵などの監視下におき、「慰安婦」の外出なども軍の監視下におきました。またコンドームの支給もしました。いうまでもなく、慰安所を利用したのは軍人・軍属でした。業者が日本軍の意向を無視して、勝手に開設・経営することはできませんでした。つまり慰安所の主体は軍、次いで業者であり、債務奴隷状態におかれた女性たちが主導権を握ることはありませんでした。

このように日本軍は慰安所の管理・経営に積極的に関与しました。このことは日本政府が自ら認めた歴史的事実です。1990年6月に日本政府高官は「(慰安婦は)民間業者が勝手に連れ歩いた」と国会で答弁し軍の関与と責任を否認しましたが、1992年1月に軍の関与を立証する公文書資料発見の報道が流れると、一転して軍関与を認めました。その後、日本政府が1992年7月に加藤紘一内閣官房長官(当時)が、1993年8月には河野洋平内閣官房長官(当時)が、公文書を調査し被害者へのヒヤリングをするなどした調査結果を公表しました。とくに河野官房長官は「慰安所は、軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与」したと軍の関与を認め、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいもの」であり、「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」とであると「お詫びと反省」を表明しました(以上、「河野談話」)

以上のように、日本軍が慰安所の管理・経営に関与し責任があるのは、明らかです。