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戦時性暴力、「慰安婦」問題の被害と加害を伝える日本初の資料館

Q5.「慰安婦」にされた女性たちはどのくらいいるのですか?

「慰安婦」にされた女性はどのくらいいるのかという質問に答えることは簡単ではありません。戦争の末期には日本本土にも慰安所が設置されましたが、それまではほとんど海外でした。海外にいた日本軍人の数は太平洋戦争中は200から300数十万人です。軍人数十人に「慰安婦」が一人の割合で配分されたようですが、何年も「慰安婦」にされていた女性もいれば、比較的短期間で入れ替わっている場合もあります。日本や朝鮮から連れて行かれた場合は、帰国するチャンスがほとんどなかったので、病気などで死亡したり捨てられたりしないかぎり比較的長い間「慰安婦」にさせられていますが、現地女性の場合、かなり短期間です。仮に軍人300万人として、100人に1人の「慰安婦」がいて、太平洋戦争中の交代が1.5(半分入れ替わる)と仮定すると4.5万人になります。これはかなり少なすぎる見積もりです。軍人30人に1人として、交代を2(全員が一度入れ替わる)とすると20万人となります。30人に1人はかなり多めの見積もりです。こうした推計から数万人から20万人の間ではなかったかという推定が可能です。

ところで太平洋戦争開戦の翌年1942年の1年間に陸軍が海外の部隊に送ったコンドームの数が3210万個です。平均すると1日あたり9万個、1週間あたり60万個余りになります。慰安所の利用は休日に集中することを考えると、ある時点をとれば数万人の「慰安婦」がいたことは推測できますがそれ以上くわしい人数を特定することは難しいでしょう。

ところで日本軍による性暴力の被害者を組織的であるかどうかの点で考えてみると、第1に都市部の軍が管理する慰安所で運営規則や「慰安婦」の名簿が作られ定期的に性病検査がなされる慰安所があります。ここでは日本や朝鮮、台湾から連れてこられた女性が多いと言えます。第2に町や村に駐留する部隊が独自に女性を集めて開設する慰安所があります。村長に女性を提供させたり、拉致して連れてきたりかなり暴力をむき出しにする傾向が強くなります。慰安所とは呼ばれても、規則も作られず名簿の管理や性病検査もかなりあいまいになる傾向があります。第3に、第2のタイプに近いのですが、ただ拉致してきた女性をどこかの家にある期間監禁して将兵たちが次々と輪かんするようなケースもあります。そのほか、将校や下士官が自分一人のために女性を監禁して愛人のようにした場合、いわゆる輪かんのケース、一人の兵士による単発の強かんなどさまざまなケースがあります。

さて「慰安婦」とはこれらのタイプのどれを指すのでしょうか? 第2と第3のタイプを「慰安婦」と言うかどうか、研究者の間でも意見が分かれます。戦後補償裁判の事例のなかではフィリピンや中国の山西省のケースがこの二つのどちらかにあてはまるでしょう。

人数の問題にもどると、最初に推計したのは明確に慰安所として設置されている場合(第1と、広くとっても第2まで)であって、第3のタイプのようなケースを含めるとこの数字をはるかに上回ることは間違いないでしょう。

どの国・地域の女性が多かったのかという点ですが、以前は朝鮮人女性が圧倒的に多かったと思われていたのですが、調査研究が進むにつれ、中国や東南アジアの現地女性がたくさん「慰安婦」にされていたことがわかってきました。先の紹介したタイプでいえば、後の方ほど現地女性が増えていきます。朝鮮人と中国人のどちらの「慰安婦」が多かったのか、という質問にもはっきりとは答えられない状況です。もちろん第3のタイプまで「慰安婦」に含めればおそらく中国人女性の方が多かったと言えるでしょう。

「慰安婦」は日本軍による性暴力の被害者の一つのタイプであって、「慰安婦」として定義された女性たちの回りにはそれに倍する性暴力被害者がいるということを忘れてはならないでしょう。