日本の敗戦によって戦争は終わりましたが、多くの「慰安婦」が連行地に置き去りにされました。中には自力で祖国に帰った女性もいますが、言葉も地理も習慣もわからない土地に投げ出され、生きるために現地の男性と結婚した女性もたくさんいます。
韓国には1990年代後半から、半世紀の時を経て帰国する女性たちが出てきましたが、今も人知れず現地で生きている女性や、故郷に帰ることなく亡くなった女性もいます。
激戦地では戦闘に巻き込まれて死亡したり、日本兵の「自決」の巻き添えになって亡くなった女性もいます。南方の慰安所に連行された朝鮮や台湾の女性たちの中には、日本の敗戦時に連合軍に捕えられ、捕虜収容所に入れられた人もいました。
彼女たちは尋問を受けた後に祖国に送り返されましたが、なかには「慰安婦」だったことを恥じて帰国船に乗ることを拒んだ女性もいます。
「慰安婦」にされた女性たちは心も体もボロボロになり、戦後、つらい生活を送りました。不妊症になり、内臓疾患や女性特有の子宮の病気、慰安所でうつされた性病の後遺症などで苦しんだ女性も多くいました。
また、当時を思い出すたびに心が激しく乱れ、頭痛や動悸、悪夢に悩まされるなど、強いPTSD(心的外傷後ストレス症候群)に苦しみました。そのため、精神の錯乱や家庭内暴力に陥った女性もいます。
「慰安婦」の被害は、彼女たちの人生をどん底に突き落とした「人生被害」です。貞操観念の強い社会で育った女性たちは「慰安婦」にされたことを人に知られまいと、帰国しても故郷に帰れなかったり、家族にも話さなかった女性がたくさんいます。なかには「日本軍の協力者」と非難され、自殺に追い込まれた女性もいました。
日本政府が何の手立てもとらないできた長い歳月、女性たちの苦しみは何ひとつ解決されることはありませんでした。女性たちは、被害から半世紀以上を経て「生きているうちに尊厳の回復を!」と訴えています。それは人間としての尊厳と、奪われた人生を取り戻したいという強い思いからです。