日本語 English
戦時性暴力、「慰安婦」問題の被害と加害を伝える日本初の資料館

Q6.女性たちはどのように集められましたか?

<朝鮮や台湾から集める場合>

よくみられるのは、(1)中国などの戦場に派遣された現地軍が、その指揮下の各部隊に慰安所をつくるようにと指令を出す→現地軍が選んだ民間の業者が朝鮮、台湾に送られる→業者がそれぞれの地域の警察や憲兵の協力をえて集める、というケースです。また(2)現地軍の要請で、日本内地の部隊や植民地にあった朝鮮軍・台湾軍(いずれも日本陸軍)が業者を選んで集める場合もありました。軍は業者に「慰安婦」を集めるための資金や便宜(渡航許可の証明書など)を与えました。とくにアジア太平洋戦争以後は、日本国内や植民地から「慰安婦」を国外に送る場合、軍の証明書なしにはできませんでした。

また、朝鮮総督府が女性集めに関与した例としては、次の関東軍(※1)司令部の証言があります。1941年7月から行われた関東軍特種演習は、対ソ連戦準備のための日本陸軍始まって以来の大規模な兵力動員でしたが、ここに朝鮮人「慰安婦」が大量に動員されました。これを企画した関東軍司令部参謀の原善四郎は「必要慰安婦の数は二万人”とはじきだし」、朝鮮総督府総務局に行き依頼しましたが、「実際に集まったのは八千人ぐらい」と述べています(※2)。原の部下で実務を担当した村上貞夫は「三千人位」(※3)と証言しています。いずれにせよ大量の朝鮮人女性が、関東軍の指示と朝鮮総督府のルートという行政的な強制力によって、「慰安婦」として中国東北に動員されたことになります。台湾でも台湾総督府が女性集めに関わったことが公文書で明らかになっています(※4)。

さて、被害者や日本軍兵士の証言からみてもっとも多いのは、未成年の少女がだまされて連れて行かれたケースですが、未成年が多かったのは日本軍が性病対策のため若くて性経験のない女性を必要としたためと考えられます(Q1参照)。「お金が稼げる仕事がある」(朴永心)、「勉強もできてお金も儲かる所に行かせてあげる」(文必)、「戦地にいけば金がもうかる」(宋神道)、「日本の工場に仕事がある」(金順徳、朴頭理)、「白いご飯が食べられる」等の理由で騙されて連れて行かれたら慰安所であったことに気づくというケースです。これは、次の日本軍元軍曹の回想記からも確認できます(※6)。スマトラのパレンバンで憲兵として慰安所に関わるなかで親しくなった朝鮮人「慰安婦」は、次のように語りました。

「私達は、朝鮮で従軍看護婦、女子挺身隊、女子勤労奉仕隊という名目で狩り出されたのです。だからまさか慰安婦になんかさせられるとは、誰も思っていなかった。外地へ輸送されてから、初めて慰安婦であることを聞かされた。…軍曹殿、皆大声で笑ったり、噪いだりしているけれど、心では泣いているんです。死のうと思ったことも何度もあるんです。…」

また、暴力的な拉致がなかったわけではありません。朴玉仙さんの証言では、日本人男性2人に捕まえられ中国と旧ソ連の国境地帯・穆稜の慰安所に送り込まれました。それ以外には、女子勤労挺身隊として日本の不二越(富山県)に入れられたが逃亡して日本軍に捕まり「慰安婦」にさせられた姜徳景さん、飲み屋に売られた時に朝鮮人男性二名に捕まり中国の延吉にある航空部隊の東飛行場に連れて行かれた李玉善さんなどのケースがあります(※6)。また、植民地台湾や朝鮮には日本が公娼制度(Q1参照)を持ち込んでいたので、その下で売春をした女性から「慰安婦」になったケースも推測されます。

以上から、大部分の朝鮮人女性の大部分は”本人の意思に反して”「慰安婦」にされたことがわかります。日本政府も「河野談話」(Q4参照)を通じて、「…朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理下等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と連行における強制性をはっきりと認めています。また、業者の募集行為も「国家を代理して行ったものであれば、国際法上は国家の行為」になる(女性国際戦犯法廷ハーグ最終判決)ことを見逃してはなりません。

<日本国内の場合>

日本から日本人女性を送る場合は、原則的に21歳以上の売春女性のなかから集められました。婦人・児童の売買を禁止した国際条約に日本が加盟していたためです(植民地は適用外)。具体的には、公文書などから次のケースが明らかになっています。中国にある慰安所設置のため陸軍から内務省警保局(全国の警察の元締め)に「慰安婦」集めと中国への送り出しの依頼をおこない、内務省が大阪などの5府県に割り当て業者を選定し、女性4百名を集めさせたということです。このことは極秘扱いにされただけでなく、そのことを「経営者の自発的希望に基」づくものであるかのようにみせかけるよう指示まで出していました(※7)。

また、軍や警察も日本国内で女性集めをする場合は、人身売買や略取誘拐などの問題がないように指示しました(植民地や占領地ではそうした指示を出した形跡がないので、差別的に扱っていたことがわかります)。なお、未成年のケースや、だまされて「慰安婦」になったケースもありました。

<中国・東南アジアなどの場合>

日本軍が自ら地元の女性集めをした例が多かったのですが、次のようなケースが明らかになっています。(1)現地軍が憲兵の協力を得たり、村長など地元の有力者に命じて女性を割り当て集めさせたケースがあります。この場合、軍に逆らえないので強制になります。(2)暴力的な拉致です。「討伐」に行った各部隊が女性たちを捕まえて、むりやり連行して強かんしたり、監禁して「慰安婦」にしたケースです。とりわけ中国やフィリピンなどの抗日的とみなした地域で、日本軍はしばしば「粛清」の名のもとに住民虐殺や残虐行為を行い、女性に対してこうした暴力的な拉致による性暴力行為を行いました。フィリピン人元「慰安婦」のルフィーナ・フェルナンデスさんは、抗日ゲリラの容疑をかけられた父親と家族が目の前で日本兵に殺害されたあと、車で連行され、数ヶ月間監禁されて強かんされ続けました(※8)。(3)インドネシアにある日本軍の民間抑留所に入れられたオランダ人女性は、強制的に慰安所に送られ「慰安婦」にされました。戦後に(3)のうちスマラン慰安所事件は、オランダによるBC級戦犯裁判で裁かれて、関係者11名(将校7人、軍属の慰安所経営者4人)は有罪になりました(※9)。

日本軍が侵略・占領した中国や東南アジアは戦場であったので、そこでは日本軍の暴力性がよりあらわになったといえるでしょう。

このように、「慰安婦」にするための女性集めや連行には、日本軍が自ら行うなど密接にかかわりました。また外務省、内務省、各地の警察、台湾総督府、朝鮮総督府その他の国家機関も直接・間接にかかわりました。

(注)
※1 関東軍とは、中国東北に駐屯した日本陸軍のこと。
※2 千田夏光『従軍慰安婦<正編>』(三一新書)、1978年、102-105頁。
※3 同前書を読んだ村上貞夫が千田夏光氏に送った手紙にその経緯が書かれている。千田氏の好意により、VAWW-NET ジャパン編『「慰安婦」・戦時性暴力の実態 1』(2000年、緑風出版)に原文掲載。なお、慰安婦配置表も存在したが、敗戦の時に処分したという。
※4 台湾総督府の手を通じ台湾から約三百名の渡航が手配済みとの記載がある。1997年12月に警察大学校で発見された公文書「支那渡航婦女に関する件」など、1938年11月4日・8日付け。(石出法太ほか著『「日本軍慰安婦」をどう教えるか』梨の木舎、1997年、120-121頁、所収より重引)
※6 土金冨之助『シンガポールへの道 下』創芸社、1977年(石出法太ほか同上書より重引)
※5 これら朝鮮人「慰安婦」の証言は、アクティブミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編集『証言 未来への記憶―アジア「慰安婦」証言集〈1〉南・北・在日コリア編〈上〉』明石書店、2006年、参照。〈下〉も近日発売予定。
※7 出典は※4に同じ。
※8 石出法太ほか前掲書、144-145頁。
※9 吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書、1995年、175-192頁。