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戦時性暴力、「慰安婦」問題の被害と加害を伝える日本初の資料館

Q7.被害女性たちは何を求めているのですか?

1991年8月、韓国ではじめて実名で名乗りをあげた金学順さんは、責任を認めない日本政府の発言を聞いて怒りを感じ「慰安婦にされた私がここにいる」と後世に伝えるために証言を決意したと、語っています。彼女は同年12月に来日して、ほかの被害者とともに日本政府を相手に「補償」を求めて東京地裁に提訴しました。それ以後今日まで、韓国人、在日韓国人、フィリピン人、台湾人、中国人、オランダ人などの元「慰安婦」制度被害者や性暴力被害者たちが、日本政府に対してそれぞれ「謝罪と補償」を求めて提訴しました。しかし日本の裁判所は事実認定をせず、また事実認定をしても被害者の「謝罪と補償」の要求を退けつづけました。

こうしたことから、被害者が正義を求めているのに国家が裁かないなら、民衆に裁く権利と責任があるとして、2000年12月には東京で加害国日本と被害国の女性や市民の協力で民衆法廷「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」が開かれ、8カ国から64人の被害者が参加しました。法廷は、刑事裁判の形式で、「慰安婦」制度の犯罪性と責任を国際法に基づいて、提出されや膨大な公文書類や被害者・加害者の証言などによって明らかにするために開かれたものです。「天皇有罪、日本国家に責任」という判決を聞いて、被害女性たちは喜びの表情をみせました。「この10年間で求め続けた正義が女性国際戦犯法廷で初めて得られました。今は顔をあげて堂々と生きることができます」と語ったのは、フィリピンの被害者トマサ・サリノグさんでした。

韓国で被害者を支援し「慰安婦」問題の解決を求めて運動している韓国挺身隊問題対策協議会(1990年11月結成)は、日本政府に対して次のような7項目の要求をしています。
(1)日本軍「慰安婦」の法的認定、
(2)真相究明、
(3)国会決議謝罪、
(4)法的賠償、
(5)歴史教科書への記録、
(6)慰霊碑と資料館の建設、
(7)責任者の処罰、
です。(公式ホームページより)。

毎週水曜日にソウルにある日本大使館前で行われる「水曜デモ」には、被害者と支援者・支援団体が参加して、以上の要求をしてきました。この水曜デモは、1992年1月から現在まで15年以上も続いています(休んだのは1995年1月の阪神淡路大震災のときだけです)。

以上から、日本政府が「慰安婦」制度への法的責任を認めた上で、謝罪とその証しとしての個人補償する――これこそが、被害女性が日本政府に切実に求めていることではないでしょうか。「慰安婦」にされたために戦時中も戦後も今日まで貶められ続けた女性たちの尊厳の回復のためには、これらはその入り口となるでしょう。そのうえで、歴史の教科書に記載し、資料館や慰霊碑を建設することなどを通じて、同じ過ちを二度と繰り返さないために”歴史の記憶”として刻むことを望んでいるといっていいでしょう。

確かに日本政府は、この問題が浮上して日本軍の関与を立証する軍公文書発見が報道されて以降、日本政府として軍関与を認め言葉のうえで謝罪しました。「慰安婦」問題への「お詫びと反省」を表した1993年の「河野談話」(Q4参照)では、「歴史の真実を回避することなく、歴史の教訓として直視していきたい。……歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意」を表明しました。これらは画期的な前進でした。日本社会は、「慰安婦」問題を通じて、過去の日本が行った加害の記憶(植民地支配、侵略戦争)に向かい合うことになったからです。「植民地支配と侵略」を謝罪した1995年の村山首相「戦後50周年談話」は、その表れです。

しかしながら、その謝罪は個人補償という形で実行に移されていません。1995年には日本政府によって「女性のためのアジア平和基金」(国民基金)がはじまりましたが、これは日本国民から募金を集めて被害者に支給するもので、日本国家による補償ではないとして、被害者から多くの反発をよびました。日本政府は、1952年いこう現在まで日本人元軍人・軍属とその遺族などに対しては国家による個人補償を手厚くしているのですから、日本国家が「慰安婦」制度への責任を認め謝罪つもりがあるなら、日本政府が自ら「慰安婦」制度被害者に補償するのが筋ではないでしょうか。

また「歴史教育を通じて記憶にとどめる」(「河野談話」)等によって、1994年度から高校教科書に、1997年度版から中学校の歴史教科書にこの事実が記載されるようになったのも画期的なことでした。しかし1990年代後半から「慰安婦はいなかった」などと否定する勢力が勢いを増していき、彼らの有力政治家を巻き込んでの猛烈なキャンペーンによって、2002年度版は大幅に記述が後退し、2006年度版にはほとんどの教科書から「慰安婦」に関する記載が消えました。残念ながら、こうしたことが被害女性たちの日本政府や日本社会に対する不信感を生んでいると言ってよいでしょう。

現在、1990年代に被害を名乗り出た女性たちの訃報が、各国からあいついでいます。また70歳台、80歳台になり、高齢化してきました。せめて生きている間に、彼女たちの望む日本政府自らによる「謝罪とその証しである補償」を実現するのが、加害の国日本に住む私たちの課題ではないでしょうか。